2009年07月26日
アーミッシュの赦し

『アーミッシュの赦し』
3年前に、ペンシルベニア州のアーミッシュコミュニティの学校に
突然、銃を手にした男が侵入し、乱射。
5人の子供たちが犠牲になった事件があった。
その事件の被害者の遺族は、事件の起こったその日に、
加害者の家を訪問した。男は乱射後すぐに自殺した。
残った妻と子供たちに「あながたがを赦し責めない」ことを伝える。
そして、夫を亡くした妻に、お悔やみの言葉を送り、
父親を亡くした子供たちを慰めた。
そして、今後、加害者の家族として受ける不遇を思い、同情を示した。
愛する子を失ったのだから、それは想像しがたい深い悲しみがあっただろう。
しかし、遺族は赦すという選択を取った。
その日のうちに行動を取ったと言うことが、その態度が伝わる。
バイブルには「目には目を、歯には歯を」とあるように、
いのちを奪う者に対して、いのちで償わなければいけない。
だから、愛する者を失った遺族が、加害者のいのちを要求することは、
普通の感情である。
しかし、また、ここに別の生き方を選んだ人たちもいる。
韓国映画の「シークレットサンシャイン」で
誘拐犯に子供を殺害された母親が苦悩する中、信仰に希望を見出していく。
そして、犯人を赦して、教会の多くの人の前で証言する。
その後、犯人に実際に会いに行って、赦したことを伝える。
その時、犯人も実は刑務所で信仰を持っていて、
自分は神に赦された、感謝していると、希望を見出していることを知る。
その瞬間から、その女性は赦したはずの心がふたたび憎悪へと変わり、
彼女は豹変するように、激しい怒りによって、苦しむ。
ジーザスが言った、「あなたの敵を愛しなさい」。
愛するとは、相手の幸せを願い、そのために手助けをすることだ。
犯人が刑務所で自責の念で苦悩しているなら、まだ赦せたのかもしれない。
しかし、信仰を持って、感謝している、平安でいる。
そのことは冷静でいられなくなる。
いかに、敵を赦し、愛することがたいへんか。
そもそも、敵を愛するということは、ナチュラルな人間にはできないことで、
もし、そのような愛が実践できるなら、まさに奇跡。
神の神秘の世界です。
信仰者の歴史には、そのような奇跡の赦しが多々あるのです。
そのような赦しの選択を生きたアーミッシュの証しの込められた本です。
Posted by パスター・レイ at 20:42│Comments(0)
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