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2008年09月13日

河野さんの生き方

河野さんの生き方
命あるかぎり」 河野義行

「私は、麻原被告も、オウム真理教の実行犯の人たちも、恨んでいない。恨むなどという無駄なエネルギーをつかって、限りある自分の人生を無意味にしたくないのである。」

これは本文の抜粋で、ブログにも載っている。

松本サリン事件で被害に遭われて、

さらに冤罪の二重苦を味わった河野さん

最近、奥様が長い闘病生活の中、亡くなられたが、

事件、以後の河野さんは、

実に内容のある人生を送っておられる。

それを象徴する人間関係が本の冒頭の藤永孝三という男との関わりだ。

藤永は松本サリンの実行犯ではないが、

サリンを散布する車を改造した男。

10年、刑務所に入って、その後、河野さんの自宅を

訪れた。極度に緊張する藤永に、

河野さんは、他の誰に対しても接するように、

普通にかかわっていく。

そして、家の鍵を預け、自分が講演会で留守にしても

いつでも来て、くつろげるようにした。

今でも、彼とは岩魚釣りをしたり、仲好くしている。

それが、自然体でできる人なのだ。

そのことが無理しているのではないことが、

子どもたちの接し方でもわかる。

子どもたちにも、藤永を紹介したら、

何の抵抗もなく、家の客人として、もてなしてくれた。

打ち合わせるのでもなく、自然と家族のみんなが、

そんなかかわりができるのだ。

自分たちを地獄に突き落したような集団の一味だった人にだ。

河野さんは警察にも疑われて、ひどい目に遭っている。

恨みを抱いても、何の不思議でもないのだが、

長野県の公安委員の仕事を務めた時、

警察に対する主観的な恨みもなく、

冷静に一つ一つの事柄を扱っている。

事件が毎年、増加しているにもかかわらず、

警察官の置かれている劣悪な環境に

同情までして、改善を訴えている。


そして、冤罪に対して、マスコミ、世間のいい加減さを思わされる。

実は、ボクの周囲でも数年前、ある沖縄で起きた事件で

似たようなことがあった。

殺人事件の容疑者にされた女性がいた。

その女性は警察から何度も呼び出され、

取り調べを受けた。

彼女の身辺も調べられ、近所では、

「どうやら、彼女は疑われているらしい」

という噂でもちきりとなった。

あまりの苦痛の中、彼女は近くの教会に飛び込んだ。

教会の牧師とかかわっていく中、精神的に安定を取り戻した。

しかし、彼女は逮捕される。

テレビや新聞でも実名で取り上げられた。

その牧師はボクが仲良くしていた人で、

「自分は彼女から直接、無実だと聞かされている。

だから、自分は彼女を信じている。

彼女の疑いが晴れるよう、みんな、祈ってほしい。」

そう連絡が入った。

そして、いろんな人にこのことを祈ってもらうべく連絡した。

しかし、それを聞いた人たちの多くは半信半疑。

「警察が証拠もなしに、逮捕に踏み切るだろうか?」

「実名も報道しているのだから、よほど確信があるのではないか?」

そういう言葉もちらほら聞かれた。

ボクも正直、友人の訴えと報道の狭間で揺れ動いた。

しばらくして、ニュースを見てたら逮捕された彼女が釈放された。

警察もあせりからの逮捕だったようだ。

逮捕、釈放の理由も会見で言えなかった。

河野さんは冤罪が晴れたが、

多くの罪なき人が、刑を受けているだろう、と言う。

そして、誰でも冤罪の被害を受ける可能性は十分ありうると。。。


河野さんが言うように、人の評価はいくらでも操作できる。

世間のに流されない、健全な視点が必要だと感じた。


しかし、そんな不条理な出来事の中で、

河野さんは誰を恨むことでもなく、

自分を生きてきた。

人は選択で決まると思わされた。

人を恨む選択。恨まずに、その経験を別の方向、つまり、

その経験を人に役立てる道。

河野さんは、後者を選んだ。

その生き方に、人間の気高さを感じる。

短い本ですが、感動させられた本です。


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Posted by パスター・レイ at 21:36│Comments(0)本の紹介
 
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