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Posted by TI-DA at

2013年04月16日

期待以上のロペス




ジャイアンツにとって久しぶりの当たり外国人と言える、ロペス。

弾丸ライナーでレフトに飛び込むホームランは、興奮しますね。


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Posted by パスター・レイ at 09:04Comments(0)スポーツ

2013年04月16日

今日のバイボー(240)

「こうして、主の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。
主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。」Ⅱサムエル6章11節。


契約の箱を運ぶ時にウザが倒れかかった箱を押さえようと触れたために

彼は死んでしまいました。

恐れたダビデは契約の箱を運ぶことを中止して、

オベデ・エドムの家に安置しました。

すると、彼の家は繁栄したのです。

一方では死に至り、一方は繁栄する。この違いは何でしょう。

多くの解釈ではウザがレビ人でないのに箱に触れたから、律法違反だと言います。

しかし、ダビデたちも主の箱でダンスしたり、

ユダ族のくせに祭司のエポデを着ています。これも違反です。

また、オベデ・エドムは神様を恐れる従順な人だと教えます。

しかし、この人はガテ人です。

ゴリアテと同じ故郷で異邦人なのです。

絶対に律法を守っていないはずです。

それなのになぜ彼の家は繁栄したのでしょうか。

理由は喜んで契約の箱を迎えたからではないでしょうか。

ダビデは喜んで礼拝していましたが、

ユダヤ人で律法を知る彼はどこかに恐れがあったと思います。

ウザが死んだ時に、その本心が現れて、箱を遠ざけてしまいました。

しかし、異邦人のオベデ・エドムは

「神の箱が我が家に来たぞ、ラッキー」と大喜びしたのです。

彼の子供たちも喜んで、箱によじ登って遊んだかもしれません(笑)。

これは来るべきメシアの予表ではないでしょうか。

このお方を受け入れる者には誰でも、神の子となれる。

律法を守ることで恐れつつ近づくのではなく、

贖い主の御業に心から感謝して喜んで賛美する。

そういう者を神様は繁栄させて下さいます。  


Posted by パスター・レイ at 07:11Comments(0)バイブル

2013年04月15日

今日のバイボー(239)

「ペリシテ人は、ダビデが油をそそがれてイスラエルの王となったことを聞いた。
そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。
ダビデはそれと聞き、要害に下って行った。」Ⅱサムエル5章17節。


ダビデが油を注がれた後、すぐにペリシテ人の攻撃が始まりました。

ダビデは強いので、そのままにしていると、ペリシテ人が支配を受けるからです。

イエス様もバプテスマを受けて、聖霊が下った後、悪魔が近づいて来ました。

聖霊が豊かに働く人には悪魔も近づきます。

放置すると、瞬く間に神の国がその人を通して広がって、

悪魔の支配権は侵略されるからです。

聖霊充満クリスチャンは、悪魔界でブラックリストに載っています。

聖霊が臨まない人は悪魔は問題にしません。

その人を放置しても、その人は塩気を失った塩のように、

何にも脅威にはならないからです。

悪魔の攻撃はあるけれど、神の兵士として、世を救う人になるか。

それとも、悪魔の攻撃は受けることがなく、波風は立たないが、

この世に対して何の影響もない、人を滅びから救うことができない人生。

みなさんはどちらがいいですかね?  


Posted by パスター・レイ at 06:49Comments(0)バイブル

2013年04月12日

ポエム「フットプリンツ」は聖書的か?

クリスチャンの間で有名なポエムである「フットプリンツ」。

イエス様と私で二人で歩いた砂浜。

二人分の足跡がついている。

しかし、途中で一人分になっている。

その道のりは自分が一番、苦しく、辛かった頃。

あの時、あなたはどこに行っていたのですか?

私をひとりぼっちにしていたのですか?ひどいです。


イエス様は答えられた。

「いや、違うんだよ。

あなたはあの時、自分で歩くことができなかったので、

私が背負って歩いていたのだ。

あれは私の足跡なんだよ。」


とても感動的な詩ですよね。



ところでこれは聖書的でしょうか?


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Posted by パスター・レイ at 09:38Comments(0)コラム

2013年04月01日

今日のバイボー(238)

「それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、
わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』
トマスは答えてイエスに言った。『私の主。私の神。』」
ヨハネ20章27、28節。


トマスは他の弟子たちがイエス様の復活を証言しているのもかかわらず、

自分の目で見て、手で触れるまでは信じないと頑なに言いはりました。

そんなトマスにイエス様は復活の体をもって現れて下さいました。

そして、トマスはイエス様を神として礼拝します。

信仰は全くの賜物です。

その証拠にトマスは自分の五感で感じないと復活を受け入れない人だったのです。

そんな彼がイエス様を礼拝するのです。

これは信仰は自分の内から生まれるのではなく、

神から信仰が来ることを教えています。

「この人ができるなら自分にもできる」そう思わす人がいますよね。

トマスはそのように誰にでも希望を与えてくれます。

トマスが信じるように導かれるなら、

私も神の憐れみで、信じる者に変えて下さると。  


Posted by パスター・レイ at 07:37Comments(0)バイブル

2013年03月27日

今日のバイボー(237)

「そこで、ピラトはイエスを捕えて、むち打ちにした。」ヨハネ19章1節。


ピラトはイエス様が無罪だと見抜いていました。

しかし、ムチを打つように命じました。

なぜなら、そうしないと、ユダヤ人たちの妬みや憎しみを

抑えることができないからです。

この世では人間の罪が複合的に集合的に、

強いエネルギーとしてうごめいています。

このマイナスのエネルギーを誰かにぶつけることで、

一人一人が産み出す破壊的エネルギーから、社会を守っているのです。

どんなに改善しても、いじめや差別はなくなりません。

罪人の社会は、誰かを犠牲にすることで成り立っています。

誰かが虐待されないと、社会全体のバランスが壊れてしまうからです。

会社、家庭、すべて人間の集団にはそのようなスケープゴートがあります。

いじめられ、差別された者は、さらに自分より弱い者、低い者を標的にします。

この罪の連鎖を断ち切るために、神の御子であられるイエス様が、

ムチ打たれ、最後はいけにえの十字架にかかりました。

私たちに怒り、憎しみ、敵意を十字架にかけることで、

私たちは罪の連鎖から自由になります。  


Posted by パスター・レイ at 07:03Comments(0)バイブル

2013年03月08日

今日のバイボー(236)

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 しもべはその主人にまさらず、
遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。」ヨハネ13章16節。


イエス様の弟子として従う人には永遠に至る幸いな人生があります。

しかし、イエス様が苦難に遭ったように、

従う者にも苦難がともないます。

それでも師以上ではありません。

イエス様の苦難よりも小さな苦難です。

「そして、キリストのからだのために、私の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
(コロサイ1章24節)」


イエス様とともに永遠のいのちに与りたい人は、

イエス様とともに生きる必要があります。

「NO CROSS NO CROWN(十字架なしに栄光なし)」   


Posted by パスター・レイ at 07:29Comments(0)バイブル

2013年03月06日

今日のバイボー(235)

「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。
それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、
そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」ヨハネ12章40節。


この言葉はイザヤが53章で苦難のメシアを預言した時の言葉です。

人はみんな自分を祝福してくれる神、繁栄を与える神を求めます。

しかし、人類に提供されたメシアは十字架でみすぼらしく、

惨めで弱いお方でした。

ですから、こんなメシアならいらないと、みんな拒否したのです。

そして、繁栄の方に目を向けるので、

いつしか霊的な盲目となり、神の方がその人を拒否されたのです。

私たちがイエス様に出会う時、

それは心が貧しい時、悲しむ時、無力にされた時です。

自分が低くされた時にしか、メシアは見えないのです。

十字架の上で眼差しを向けるメシアがあなたには見えますか?  


Posted by パスター・レイ at 07:50Comments(0)バイブル

2013年02月28日

今日のバイボー(234)

「結局のところ、もうすべてが聞かされてい ることだ。
神を恐れよ。神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。」伝道者の書12章13節。


カルフォルニアの有名な精神科医の所に一人の青年が受診しに来ました。

彼はハンサムで優秀なビジネスマンでした。

彼は言いました。

「ドクター、私は学生の頃にビジネスの成功を夢見て、

一生懸命に勉強して、

そのかいあって、若くして成功しました。

郊外の高級コンドミニアムに住み、

ドイツの高級車に乗り、

美しい妻をもらいました。

欲しいものは全部、手に入ったのです。

みんな私のことを羨ましいと言います。

ところで相談ですが、

なぜ、私は今、

無性に死にたいのでしょう?」

この世にあるものはみんな幻で、

それを得ても決して、満たされません。

この世には何もないのです。

ソロモンが言うように、

人間にとって神との関係がすべてです。

神とのつながりの先に永遠の世界、本当の満足する泉があるのです。  


Posted by パスター・レイ at 06:49Comments(0)バイブル

2013年02月27日

今日のバイボー(233)

「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。
あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。
しかし、これらすべての事において、
あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。
だから、あなたの心から悲しみを除き、あなたの肉体から痛みを取り去れ。
若さも、 青春も、むなしいからだ。」伝道者の書11章9−10節。


ソロモンはここで快楽を楽しめと言っているようですが、

そうではなく、快楽には刈り取りがありますよ。と教えているのです。

だから、明るい未来になるために、今を生きなさいと言う事です。

日本は貧富の差が拡大します。

それは努力する者とそうしない者の格差だと言うことです。

学生は二極化しています。猛烈に勉強して進学する子供。

全く勉強せずに、友達とつるんだり、恋愛など楽しんでばかりいる子。

将来はスキルの差が明確になります。

霊的な世界にも必ず二極化があります。

再臨に備えて、神に出会う時のために、神との関係を築いていく人。

この世を愛し、この世に心を置く人。必ず、最後は運命が分かれます。

「いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。」ルカ6章27節、

「いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。」21節。
  


Posted by パスター・レイ at 07:39Comments(0)バイブル

2013年02月25日

今日のバイボー(232)

「わざわいなことよ。あなたの王が子どもであって、
あなたの首長たちが朝から食事をする国は。」伝道者の書10章16節。


朝から食事をすると言う意味は、

朝からどんちゃん騒ぎをする指導者たちと言う意味です。

そういう指導者がいると国は滅びるよ~という警告です。

「朝のスペシャリスト」と言われる池田千恵さんは、

普通のOLでしたが、発起して朝4時に起きる習慣を身につけました。

早朝2時間ほどにいろんな勉強をして、資格を取ったり、

今では朝勉強したものが蓄積して、

経営コンサルタントの専門家になりました。

朝の時間で人生が大きく飛躍したと言っています。

早朝は静かだし、電話もかかってきません。

とても貴重な時間です。

聖書を開いたり、祈ったり、勉強したりとそのような時間を取るなら、

きっと池田さんのように人生が変わると思います。

早起きするためには早く寝ることです。

ぜひ、早起き習慣にチャレンジしてみては。  


Posted by パスター・レイ at 07:30Comments(0)バイブル

2013年02月22日

今日のバイボー(231)

「私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、
戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、
また富は悟りのある人のものではなく、
愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。
すべての人が時と機会に出会うからだ。」伝道者の書9章11節。


私たちは人生の競争や勝負事が自分の実力や努力が最大の要素だと思いがちですが、

そうではありません。

たとえばアイススケートの選手としてメダルを獲る場合、

まず、当然ながら生まれながらの身体能力がなければなりません。

そして、スケートの盛んな土地柄(とくに愛知県)に生まれること。

さらに親が理解を示して、お金を出してくれること(家が何件も建てられるぐらいかかる)。

一流になれば、スポンサーもつくこと、優秀なコーチに恵まれること、

スケート場などの練習環境の確保、

さらに本番ではその日のコンディション、リズム、さらにはライバルの出来、

他にもいろんな要素が揃わないといけません。

これを全部、自分の力でたぐり寄せることは不可能です。

つまり、成功も勝利もすべて神様から来るのです。

何事にも努力するべきですが、道を開くのは神様です。

神様が許されるなら、それが可能です。

すべてのことに神を認め、すべてのことに自分ではなく、

主の栄光を現すのが私たちのなすべきことです。  


Posted by パスター・レイ at 07:08Comments(0)バイブル

2013年02月21日

今日のバイボー(230)

「というのは、私はこのいっさいを心に留め、 正しい人も、知恵のある者も、
彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。
彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、
人にはわからない。」伝道者の書9章1節。


私たちの人間関係は行為という外側のことだけでは真実は見えないのです。

子供の面倒をよくみる親が「あなたのためなのよ」と言って、

実は自分の野心や願望を、子供を利用して代理で実現させようとしていることもあるでしょう。

人に良くするのは、実は自分を大切にしてもらうことを当てにしてやっている人もいるでしょう。

本当は嫌いなのに、自分が良い人と思われたいために、仲の良い友人のふりをする人もいます。



それとは逆に、人が偶像を握っていて、このままでは滅びだとわかり、

その人の大切なものを奪い、

厳しい仕打ちをする神が実は誰よりもその人を愛していると言うことがあります。

人の心までは神以外にはわからないのです。

しかし、そのすべてが明るみになる日が来ます。

隠されているものはすべてオープンにされるのです。

その日に備えて生きるべきです。  


Posted by パスター・レイ at 07:08Comments(0)バイブル

2013年02月19日

今日のバイボー(229)

「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。
なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。」伝道者の書7章16節。


夫婦喧嘩が深刻になる原因はお互いに正しさを主張することです。

自分が正しいという確信があればあるほど怖いですよ~。

一昔の学生運動、沖縄で活発な反戦運動、

みんな正義感でやっています。

正しさを主張することで、自分の存在意義を得ようとします。

それは偶像です。

善悪の基準を持つのは神様だけです。

人生はあなたの正しさで維持されているのではありません。

雀さえも落ちることがないように養っているお方によって支えられているのです。

そして、正しい人は周りの罪人を病ませます。

ある重度のうつの男性の話を聞くと、原因は父親でした。

彼の父は優秀で非の打ち所のない人でした。

父は怒ることもないし、欠点を見つけることの難しい人でした。

それで、彼は父親に反抗もできず、甘えることもできない。

父親といると、ただ自分はだめ人間だと責め続けたのでした。

精密機械のような人間になってはいけない。

人間はネジの2、3本はずれたぐらいがいいのです。
(はずれすぎにも気をつけよう)  


Posted by パスター・レイ at 07:55Comments(0)バイブル

2013年02月14日

今日のバイボー(228)

「わたしは、あなたがたのため、すなわちあ なたがたが信じるためには、
わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。
さあ、彼のところへ行きましょう。」ヨハネ11章16節。


ラザロが病気で死にそうでしたが、

イエス様はすぐにかけつけないで、ラザロが死ぬまで待ちました。

病気をいやしても人々は信じないからです。

もしかしたら、たまたま回復したと思う人がいるかもしれません。

それぐらいのいやしは他のラビもできるよ。とか言う人もいたりして。

しかし、死んだのなら人間の可能性はすべて吹き飛びます。

絶望の中に死人を生かすイエス様の栄光が現れます。

私たちは問題が起こると、今までの経験や知力で何とか解決しようとします。

しかし、自分が手に負えない深刻な問題になると、もうどうしようもなく絶望します。

それは人間の手を離れた状態だからです。

実はそこからが神の時なのです。

神様は時折、私たちの問題を深刻にすることがあります。

中途半端な問題だと自分で何とかしようと頑張ります。

改善すると、ああよかったとそこに神の介入を認めません。

しかし、絶望的な状態の中に神が働かれるなら、そこに神の栄光を見ます。

神が生きておられる事、死人を生かす主がともにいることを知り、

私たちは主の御前にへりくだる者に変えられます。

神の計画はすべてのことにご自身の栄光となるように働かれるからです。  


Posted by パスター・レイ at 07:26Comments(0)バイブル

2013年02月14日

今日のバイボー(227)

「彼は答えた。『あの方が罪人かどうか、私は知りません。
ただ一つのことだけ知っています。
私は盲目であったのに、今は見えるということです。』」ヨハネ9章26節。


目の開かれた人は、指導者たちに尋問しています。

彼はイエス様について何も知りませんでした。

しかし、確かなことが一つあります。

それは、彼は確かにイエス様に触れて、

生まれながらの盲人であった自分が、今は見えるようになっているという事実です。

この変化だけは否定できないことです。

私たちはこのような大きな変化を遂げた人と自分を比べて、

自分は信じたのにあまり変わっていないと思ってしまいがちです。

しかし、私たちには変化が起きています。

日曜日の大切な休日に眠い目をこすりながら、

神を礼拝するために教会に行く。

聖書を学んで、真理を知りたいと願う。

全部人や環境のせいにしていた者が、

神に向き合って、自分の心を見つめるようになった。

辛くても、人を赦したいと願って、その方向へ進もうとする自分。

みんな奇蹟です。

みんな霊的な目が開かたので、そうなったのです。

私たちにも変化が起こったことを認めて、

私たちの心に働く、偉大なイエス様をほめたたえて、

栄光をお帰ししよう。  


Posted by パスター・レイ at 07:20Comments(0)バイブル

2013年01月07日

今日のバイボー(226)

「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。」伝道者の書3章4節。


ずっと前、私の知り合いの方のご主人が癌で亡くなってしまいました。

奥さんは深い悲しみから抜け出すことができずにいました。

彼女はこのままだめになってしまうのではないか?

と心配しておりましたが、

それから数年、今は素敵な男性と再婚されて、

とても幸せだと言うことで、海外で暮らしています。

悲しみに暮れていた人もいつか笑う日が来るし、

甘えん坊だった少年も、一人前の大人になる日が来ます。

神様は時を支配し、ご自身のみこころのままに変化させ、移します。

同じ状態で続くものはありません。

この世界は変わり続け、私たちも変わるのです。

愛と慈しみの神が、私たちのために最良のご配慮をして、

導いて下さっています。

この神に自分の人生を委ねる時、

平安に包まれるのです。  


Posted by パスター・レイ at 08:12Comments(0)バイブル

2012年12月25日

今日のバイボー(225)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、 へりくだって、
互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」ピリピ2章3節。


ピリピ教会で二人の女性リーダーに確執があったようで、

その問題が教会を悩ましていました。

人と衝突する原因をパウロは「自己中心」「虚栄」だと言っています。

相手がどうしようもない奴だから争いが起こるのではないのです。

すべて、自己中心に考えること、虚栄心が人をやっつけたくなるのです。

人を直すよりも、自己中心と虚栄心を直したら解決と言うことです。

この二つがなくなったら、パウロのように罪人のかしらだと言う自覚が生まれ、

争いがなくなります。とても簡単です・・・・それがなかなか難しい。

十字架の前でくずおれる、罪人の自覚。

それが人間関係の解決の近道です。  


Posted by パスター・レイ at 08:08Comments(0)バイブル

2012年12月21日

今日のバイボー(224)

「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、
いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを
見分けることができるようになりますように。」ピリピ1章9、10節。


神様は愛のお方です。

このことを聖書は何度も繰り返し語っています。

その愛の神が私たちを取り扱う時に、

けっこう厳しい取り扱いをするのです。

なぜなら、私たちは罪深く、訓練されなければ、

人生を駄目にしてしまうからです。

ですから、愛とは厳しい要素があるのです。

聖書を通して、愛について真の知識を身につけて

それを日常で識別できなければ、

人を育てるのではなく、砂糖漬けにして、

だめにしてしまうことになります。

「あれも愛、これも愛、たぶん愛、きっと愛~」

と言う歌がありましたね(古いッ)。

このような愛が氾濫する世の中で、

真の愛について識別できるようになろう。  


Posted by パスター・レイ at 08:01Comments(0)バイブル

2012年12月16日

前進あるのみ

ノーベル医学生理学賞を受賞した山中教授は、

メダルを財団から受け取った時のコメント。

「ノーベル賞は過去のこと。メダルは大切にしまい、

もう二度と見ることもないと思う。

今後、科学者としてすべきことをしたい。」

とコメントしました。

偉大な功績はもはや過去のこと。

その栄光に浸ることなく、前に向かって前進する。

パウロと共通するものがあります。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕えようとして、追求しているのです。・・
私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3章12-14節 」


私たちの本当のゴールは天の御国です。

ゴールするまで立ち止まったり、振り返るのはやめよう。

何があっても前進あるのみです。  


Posted by パスター・レイ at 09:05Comments(0)コラム