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2006年12月26日

愛の誓約2


愛の誓約2


「愛することを選ぶ」E・キャディ、D・E・プラッツ著













以前の「愛の誓約」の文章の続きだけど、


愛とは、聖子ちゃんが言うところの、「ビビビッ」と来るものでも、


松崎しげるの「愛のメロディ」で歌うところの(古いッス)、


ときめくのが愛ではないということでした。


あっ。全然、前回の続きと違う。。。。?





そう、愛はその人がどうなろうと、変わらず(態度を変えず)相手とともに生きるということかな。





結婚したての頃は背が高くて、かっこ良かったダーリンが。。。


時とともに、腹が出て、頭が薄くなって、濡れ落ち葉のようになっても。。。。それでも。。。愛する。。。。






笑顔がかわいくて、スレンダーだったマイハニーが。。。。


3サイズが均等にドラム缶のようになり、あくびとおならで、せんべいバリバリで、みのもんたのファン

になっていたとしても。。。。。それでも。。。。。愛する



そうだ、これが、本当の愛なんだ。。。。。。


とV6風に表現してみたいこのごろで。。。

そう、前回の続きは


なぜ、そんな不可能と思える、愛をバイブルは、つまり、神は人間に期待するのか、


と言う事でしたね。。。



愛するというのは、車のガソリンと一緒だと思う。


その人が、幼少の頃から、親(家族)に愛され、友だち、教師に愛される。


すると、その人の愛情のタンクが満タンになる。


当然、愛情タンクが満タンだから、その人も、周囲の人を愛せるようになる。


そこには無理がない。


でも、そのような愛のガソリンを、心のタンクに幼少期から、入れてもらえなかった人。


親にかまってもらえなかった、無視された。誉められずに、叱られてばかり。


そんな愛の充足もないのに、たたかれた。友達にいじめを受けた。


先生に不条理な扱いを受けた。。。。。。。などなど。


そんなことが重なり、愛情タンクが空っぽだと、当然、その人には、人を愛する能力がない。


愛そうとしても、無理がある。


そこには、険しい人間関係が待ち受けている。


共依存関係と言います。


具体的に言うと、愛されるために、一生懸命やる。愛されるために、人に親切にする。笑顔をふりまく。


自分をつくる。そして、その人は必ず、相手からの何らかの見返りを求めます。


しかし、人は自分の思い通りの愛を返してくれません。だから、少しずつ疲れてきます。


「こんなに愛したのに。。」。。。そして、いつか、燃え尽きます。


だって、もともと、ガソリンがちょっとしか入ってないもん。



友だちのジョシーが講演会でやるとき、いつも使うテーマ「愛されないと愛せない」


これ、とても大切なことなんですよ。


ガソリンが入ってない車は走れない。当たり前。


愛された体験のない者は、人を愛せないんです。



そこで、本題に入っていきますが、バイブルに何か命令のような言葉がある時、


その前に「キリストにあって」とか「キリストによって」という言葉があります。英語で「in Christ」


キリストが遺言のように言った言葉。


「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」


「わたしがあなたがたを愛したように」これがミソです。


弟子たちは、キリストから深く愛されたんです。


それは、前回の結婚の誓約にあった愛で。


ペテロとかヨハネは、とんでもない奴らです。それでもキリストは愛した。


十字架刑の時、彼らはキリストの前から逃げた。ペテロなんかは、尋問を受けて、


「彼のことは知らない。」と言った。バイブルには彼に呪いの言葉をかけたとある。


そんな人たちを、一切責めないで、キリストを受け入れたんです。


それで、ヨハネは「わたしははじめて愛がわかった」と言いました。



それで、愛を体験した。キリストによって、心のタンクを満タンにしてもらった。


だから、キリストは言う。


「あなたがたは、愛されたから、愛することができる。だから、愛しなさい」


バイブルはそのことを前提で、すべて語っている。


愛する能力のない者に対して、「愛しなさい」と言わない。


わたしの愛をまず体験しなさい。と言っているんです。


余談ですけど、北海道のクラーク博士の「Boys, be ambitious少年よ大志をいだけ!」


という有名な言葉があります。原文には「in christキリストによって」が入っています。


クラークはキリストを信じた学生たちに「君たち。キリストによって、大きな志をもて!」


と言ったんです。そこから新渡戸稲造、内村鑑三など、日本を支える人たちが生まれました。


訳者はそれを無視しています。この言葉がなければ、意味がまったく違うのに。



結論を言うと、愛情のガソリンが入ってない人。愛されることから始めたほうがいい。


でも、あなたを満足させる人間はそうたくさんはいない。


信頼できる友人やカウンセラーに、時間をかけて話を聞いてもらうのもいいと思う。


それ以上に、バイブルにある、キリストの愛を知って欲しいね。


最後はボクシーらしく終わります。


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Posted by パスター・レイ at 19:54│Comments(2)ブライダル
この記事へのコメント
パスターレイさん、お元気でしょうか。
クリスマスも終わって、ほっと一息して久しぶりにパスターさんの文章に触れたくて、ここを訪れました。

愛をガソリンタンクに例えるなんて、分かりやすいですね~。さすがです。でも、ホント、愛のタンクが満タンじゃないとどんなにいい車でも走れない。私はよくタンスに例えたりします。「愛をもらった人はタンスに引き出しが増えていく。引き出しがない人には、あとからどんなに愛を入れようとしても入れる引き出しがない」と。

愛は感情ではなく、意志である…というのも大人になった今、すごーくよく分かります。どんなに相手とぶつかっても、それを乗り越えようとする意志、相手を理解したいという意志…それを自分の中に見つけた時に「ああ、これが愛というものなんだなぁ」とつくづく思いました。

これからもたくさんの愛をみなさんに分けてくださいね。
それでは、よいお年を。。。
Posted by yum at 2006年12月31日 11:15
yunさん>>

どうも、お帰りなさい。
yunさんにも、いろいろ激変があったようですが、
今はくつろいでますでしょうか?
うちの家では、長女が、受験で、めずらしく、机にかじりついています。
たぶん、yunさんとこもそうでしょうね。
ボクががんばるわけではないけど、ただ祈ってますよ。
Posted by パスターレイ at 2006年12月31日 17:43
 
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