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2012年06月15日

今日のバイボー(183)

「しかし主はサムエルに仰せられた。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。
わたし は彼を退けている。人が見るようには見な いからだ。
人はうわべを見るが、主は心を見る。」Ⅰサムエル16:7。


サムエルは神のしもべである預言者でしたが、

人を見る前はあまりなかったようです。

エッサイの長男はイケメンで背も高く、容姿が美しかったようです。

それで、彼が王になる者に違いないと確信したのですが、

神様は彼を退けていました。

結局、神に選ばれた王は、お父さんのエッサイが数にも入れていなかった

末っ子ダビデでした。

ダビデも姿形が美しかったとありますので、

容姿の善し悪しは関係なかったのです。

ダビデが選ばれた理由は人間の側にはありません。

神様がダビデを愛して、

羊飼いである孤独なダビデにご自身を現して、

関係を築いて下さいました。

ダビデは神様を知り、荒野で礼拝をささげるようになっていました。

人間の価値を何をもって計るのでしょう。

容姿、実績、善行では人の価値を計ることはできません。

もし、あるとすれば、人がまことの神様とどのような関係を築いたか?

これで人間のすべてが評価されるのではないでしょうか。

元々、なきに等しい人間が、神様と関係がないとしたら、

そもそも人間には何もないのです。

神様がその人を愛して、関係を結ぶので、その人の中に命が生まれそこに、

価値を見いだすことができます。

人間にとって神様とつながること。

それがすべてなのです。


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Posted by パスター・レイ at 06:03│Comments(0)バイブル
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