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2012年04月11日

今日のバイボー(148)

「あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、
ことばのとどろきに近づいているのではありません。」ヘブル12:18。


小さい頃に亡くなった私の祖父は、

元陸軍の偉い人上で、とても厳しく短気な人でした。

私が小児喘息で夜中にぜいぜいして泣いていると、

隣から「うるさい」と怒鳴り声がして、

それは恐ろしいものでした。

祖父は怖くて、近寄れない存在だったのです。

モーセたちが旧約で神様が近づかれた時、

恐ろしくて震え上がり死ぬ思いをしました。

彼らは二度と近づきたくないと思ったのです。

本来の神は聖で、罪の一つさえ受け入れられないお方です。

もし、罪人のまま近づけば、死をもって裁かれるのです。

そのような義と聖の神様と罪人の私たちが、

イエス様によってまったく関係が変わりました。

私たちのために、ご自身が犠牲になって、

私たちをきよめて下さったのです。

それゆえ、愛と慈しみによって、

私たちを受け入れて下さるのです。

なぜ、イエス様は家畜小屋で産まれたのでしょう。

それは身分の低い人でも訪ねることができるようにです。

現に人から見下げられた羊飼いが最初にイエス様を訪問しました。

なぜ、イエス様は赤ん坊からスタートしたのでしょう。

赤ん坊に心を閉ざす人はいないのです。

どんな人を恐れる人でも、赤ん坊には近づけるのです。

赤ちゃんがいたら、その笑顔に人はいやされます。

私たちはその優しいイエス様の支配する、

永遠の国に入って、

永遠の安息を得るのです。


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Posted by パスター・レイ at 06:56│Comments(0)バイブル
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