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2011年12月28日

今日のバイボー(86)

「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して
「この方はナザレ人と呼ばれる」
と言われた事が成就するためであった。」マタイ2:23。


ある小さな離島に住む人から聞いたところ、

その島では港の近くに住む人たちが、

島の奥に住む人を差別して、あまりつきあわないそうです。

小さな島の中でさらにどのエリアに住むかで優劣をつけているわけです。

人間は血筋とか出身などで優劣をつけて、自分よりも下の人間を作る事で、

安心を得ようとすることがあります。

弱い者がさらに弱い者を痛めつける。

そのような悲しい連鎖で社会が成り立っています。

それゆえ、差別やいじめはなくなることはありません。

イスラエルでもそのような差別や優劣がありました。

エルサレムを中心としたユダヤ地方出身の人は都会人でした。

文化も知的水準も高い地域です。

そのユダヤ地方の人々が差別して、見下すのがガリラヤ出身者でした。

ガリラヤ人は血の気が多く、頭よりも体が先に反応するような人々でした。

イエス様の弟子たちはイスカリオテのユダ以外はみなガリラヤ出身者でした。

そのガリラヤ出身の弟子の中にナタナエルという人がいます。

その人がイエス様のことを初めて耳にした時に、

「ナザレから良いものが出るか」とバカにしました。

この表現は差別されていたガリラヤ地方の中で、

さらに見下されている地域がナザレだと言う事です。

つまり、イエス様は下の下とされている「ナザレ人」と呼ばれるのです。

神の御子が人間の底辺に生きるのです。

これほど謙遜に生きる方が私たちの師であり、

主のなのですから、私たちもどんな屈辱も恥ずかしめも

受け止めることができるのです。


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Posted by パスター・レイ at 06:42│Comments(0)バイブル
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