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2011年10月27日

今日のバイボー(52)

『その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、
善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、
行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」
と書いてあるとおりです。』ローマ9:11-13.



この箇所は予定の教理として、人間の理解では受け入れがたい内容です。

ある人は選ばれ、ある人は選ばれない。

しかし、これが人間の運命のように考えてしまう場合がありますが、

別の側面から見たらそれも違うことがわかります。

宴会のたとえでは、神様の天国の宴会に人々を招いたが、

みな自分の都合で断っています。

すべての人類に招待状が送られているはずなのですが、

拒否するのは招待された側です。

また、神はすべての人が救われることを願って、

そのように働かれています(Ⅰテモテ2:4)。

私たちは「天国か地獄か」という二者択一があるように考えますが、

そうではありません。

「罪から来る報酬は死(ローマ6:23)」であり、

すべての人の運命は滅びであったのです。

パロを頑なにされたのは神だとありますが、

聖書ではもともとパロは頑なです。

いや、パロだけではなく、人はみな石の心を持っています。

頑なでない人は一人もいないのです。

それを神があわれみを示して、救いの道を提示して下さったのです。

納得できないからと、神が不正を働いていると思うのは間違いです。

神の主権に自らを服して、

選ばれ救われた者として感謝する人は幸いです。




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Posted by パスター・レイ at 07:16│Comments(0)バイブル
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