2010年04月25日
12弟子の選考基準
「さて、十二使徒の名は次のとおりである。
まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、
アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンと
イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。」
マタイ10:2-4.
肉体を宿した神の子が、福音によって世界を救うために、
ご自分と同じ働きをさせるために、任命した12人。
その選考基準はどういったものだろう?
そろそろ、サッカーのW杯の代表選手が発表される。
きっと、今、一番、上位にいて、実力がある選手を海外、国内から
状態を確認して、旬の選手を選ぶと思う。
しかし、ジーザスの選考基準は人間とは逆である。
人間は上から選ぶが、神は下から選ぶ。
最近、創世記を学んでいるが、兄弟の中から、
神の選びというものがあるのに気づく。
沖縄でもそうだが、イスラエルでは長男には相続権を与え、
先に生まれたというだけで、えこひいきする。
弟は残りものであったり、まったく受け取るものがない場合も多い。
いわゆる冷や飯食いである。
だから、イスラエル人の価値観では長男が大切である。
カインとアベルでは、カインが兄である。
カインは「私は神を得た」という意味がある。
長男カインが、自分たちを救い、導く神のような存在になると
すごい、期待していることがわかる。
しかし、アベルは「空虚」という意味である。
この二人の名前からでも、親の期待度がわかる。
しかし、神は弟アベルを選んだ。
また、アブラハムも末っ子と言われている。やっぱり弟。
イサクとイシュマエルではイサク。
ヤコブとエサウではヤコブ。
エフライムとマナセもエフライム。
みんな弟が選ばれる。
モーセとアロンでもモーセが特別にされ、
アロンは弟の助手のような働き。
むしろ、アロンの方が話がうまく、
モーセは口下手である。それでもモーセが高くされる。
選びという要素は恵みであり、一方的なもの。
あえていうなら、人間社会で低くされているから選ばれる。
神は栄光を誰にも渡さないので、
決して、誇れない、人間の手柄にすることができない弱い者を選ぶ。
12使徒のほとんどはガリラヤ出身。
エルサレムという中央からはずれた田舎である。
そして、漁師が半数。当然、無学な人たち。
マタイのように、取税人という嫌われ者もいる。
このような弟子たちが、世界を変えたのである。
きっと、今の時代も神は無名の取るに足りない者に目を止め、
人間の力ではなく、神の力を用いて、働かれるだろう。
人間の側の努力がそうさせるのではない。
しかし、また、主の恵みを期待して、与えられた場所で
忠実に仕えたいと思う。
よく考えたら、ボクは長男だった。
今の時代は、このことは適用されないことを願う。
まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、
アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンと
イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。」
マタイ10:2-4.
肉体を宿した神の子が、福音によって世界を救うために、
ご自分と同じ働きをさせるために、任命した12人。
その選考基準はどういったものだろう?
そろそろ、サッカーのW杯の代表選手が発表される。
きっと、今、一番、上位にいて、実力がある選手を海外、国内から
状態を確認して、旬の選手を選ぶと思う。
しかし、ジーザスの選考基準は人間とは逆である。
人間は上から選ぶが、神は下から選ぶ。
最近、創世記を学んでいるが、兄弟の中から、
神の選びというものがあるのに気づく。
沖縄でもそうだが、イスラエルでは長男には相続権を与え、
先に生まれたというだけで、えこひいきする。
弟は残りものであったり、まったく受け取るものがない場合も多い。
いわゆる冷や飯食いである。
だから、イスラエル人の価値観では長男が大切である。
カインとアベルでは、カインが兄である。
カインは「私は神を得た」という意味がある。
長男カインが、自分たちを救い、導く神のような存在になると
すごい、期待していることがわかる。
しかし、アベルは「空虚」という意味である。
この二人の名前からでも、親の期待度がわかる。
しかし、神は弟アベルを選んだ。
また、アブラハムも末っ子と言われている。やっぱり弟。
イサクとイシュマエルではイサク。
ヤコブとエサウではヤコブ。
エフライムとマナセもエフライム。
みんな弟が選ばれる。
モーセとアロンでもモーセが特別にされ、
アロンは弟の助手のような働き。
むしろ、アロンの方が話がうまく、
モーセは口下手である。それでもモーセが高くされる。
選びという要素は恵みであり、一方的なもの。
あえていうなら、人間社会で低くされているから選ばれる。
神は栄光を誰にも渡さないので、
決して、誇れない、人間の手柄にすることができない弱い者を選ぶ。
12使徒のほとんどはガリラヤ出身。
エルサレムという中央からはずれた田舎である。
そして、漁師が半数。当然、無学な人たち。
マタイのように、取税人という嫌われ者もいる。
このような弟子たちが、世界を変えたのである。
きっと、今の時代も神は無名の取るに足りない者に目を止め、
人間の力ではなく、神の力を用いて、働かれるだろう。
人間の側の努力がそうさせるのではない。
しかし、また、主の恵みを期待して、与えられた場所で
忠実に仕えたいと思う。
よく考えたら、ボクは長男だった。
今の時代は、このことは適用されないことを願う。
Posted by パスター・レイ at 06:28│Comments(0)
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