2010年04月23日
キリストに根ざす
「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、
また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」
コロサイ2:6-7.
自分が主に会ったのは、20代の前半であった。
その時は、自分がもっとも弱く、惨めで低くされていた。
もうこれ以上は生きていくことはできない。
そんな感覚があって、必死に何かにしがみつきたい、そんな状況であった。
そんな時、主の愛によって、立ち上がらせてもらった。
自分が生き延びたのは、ただ、恵みであって、主によるものであった。
初めの愛は、ただ、弱い者に一方的に働かれる神の恵みから始まった。
それなのに、いつからか、奉仕、献身、熱心と
自分の行為によって、自分を建てようとし、
神に認められようとしている自分がいる。
当然、そのような生き方をしていると、周りの者にもそれを要求し、
言葉で言わないまでも、無言の圧力をかける。
伝道し、集会に集い、よくささげなさい、とにかく主に忠実であれと。
しかし、パウロはキリストに根を下ろせと教えている。
初めの愛に生きること。
自分には何もなかった。そんな自分にただ、赦しを与え、励まし、
愛を注ぎ続けたキリストの愛に基礎を置くようにと。
恵みの上にさらに恵みを注がれ、愛をあふれるほど受けて、
そんな中で、勇気付けられた自分が、何か主のためにやってみたい。
そのような自発的なものでなければ、すべては意味がない。
強いられる世界。正論だからと、頭だけで動くのは本物ではない。
キリストの愛に固いハートが暖められて、ほぐされて、
豊かにされて、いのちにあふれてくる時、
誰に命じられなくても、自分をささげたくなる。
人に仕えたくなる。
だから、キリストの愛に根ざすこと。初めの愛に生きること。
それが大切だ。
彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、
また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」
コロサイ2:6-7.
自分が主に会ったのは、20代の前半であった。
その時は、自分がもっとも弱く、惨めで低くされていた。
もうこれ以上は生きていくことはできない。
そんな感覚があって、必死に何かにしがみつきたい、そんな状況であった。
そんな時、主の愛によって、立ち上がらせてもらった。
自分が生き延びたのは、ただ、恵みであって、主によるものであった。
初めの愛は、ただ、弱い者に一方的に働かれる神の恵みから始まった。
それなのに、いつからか、奉仕、献身、熱心と
自分の行為によって、自分を建てようとし、
神に認められようとしている自分がいる。
当然、そのような生き方をしていると、周りの者にもそれを要求し、
言葉で言わないまでも、無言の圧力をかける。
伝道し、集会に集い、よくささげなさい、とにかく主に忠実であれと。
しかし、パウロはキリストに根を下ろせと教えている。
初めの愛に生きること。
自分には何もなかった。そんな自分にただ、赦しを与え、励まし、
愛を注ぎ続けたキリストの愛に基礎を置くようにと。
恵みの上にさらに恵みを注がれ、愛をあふれるほど受けて、
そんな中で、勇気付けられた自分が、何か主のためにやってみたい。
そのような自発的なものでなければ、すべては意味がない。
強いられる世界。正論だからと、頭だけで動くのは本物ではない。
キリストの愛に固いハートが暖められて、ほぐされて、
豊かにされて、いのちにあふれてくる時、
誰に命じられなくても、自分をささげたくなる。
人に仕えたくなる。
だから、キリストの愛に根ざすこと。初めの愛に生きること。
それが大切だ。
Posted by パスター・レイ at 08:16│Comments(0)
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