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2010年04月17日

傷がいやされるために

「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼ら
 をかわいそうに思われた。」マタイ9:36


津波、地震なのどの災害を映像で見れば、

その悲惨な状況に、誰だって心を痛めて同情を寄せる。

以前、フィリピンにアウトリーチに行った方が、

スモーキーマウンテンの悲惨な状況を写真を見せながら、

紹介してくれた。

本当に心を痛めた。

しかし、テレビでタレントとかセレブとか見て、

誰が心を痛めるだろうか?

むしろ、うらやましいと思っている方の方が多いのでは。

ジーザスの「羊飼いのいない羊」とは、神から離れた者の姿であり、

それは、表面的にどんなに繁栄していても、

その内面の本当の姿を見ると、心を痛めるのだ。

日本人の自殺者1日100人。未遂者はその10倍はいると言われる。

ジーザスはずっと、人のために働き通しであったが、

肉体をもった神の子には物理的限界もある。

「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、

収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

ご自分と志を同じにして、働いてくれる人を求めている。

みんな悩みがあるし、問題は山積みだ。

だから、助ける側より、自分が助けてもらいたいと願う。

しかし、バイブルの世界は逆説ばかりである。

自分の命を捨てようとすれば、得る。

与えれば、受ける。

仕えれば、高くされる。

自分のトラウマをいやしてほしいと願っていやされるものでもない。

むしろ、神の方法は、人とのかかわりの中で、自分もいやしていただく。

イザヤ書58章にこのようにある

「わたしの好む断食は、これではないか。
 悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、
 しいたげられた者たちを自由の身とし、
 すべてのくびきを砕くことではないか。
 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
 家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、
 これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。」

人とかかわって、助けていくように勧めているが、

その後にこのようにある。

「そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、
 あなたの傷はすみやかにいやされる。
 あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、
 あなたのしんがりとなられる。」

人の傷をいやそうとしたのに、自分の傷がいやされると言っている。

じっさい、いろんな痛みのある人とかかわると、

たしかに、しんどいのだけど、

そんな中で、自分の心が耕されて、自由になっていることに気づく。

硬い心が、やわらかくなっているだ。

神の方法は、自分に集中したら、自分の傷がいやされるのではなく、

他者とかかわって行く時、自分自身がいやされる。

これなんです。














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Posted by パスター・レイ at 12:01│Comments(0)バイブル
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