2009年11月23日
カウンセリング講座

今日は、ブライダルを終えて、
そのまま、カウンセリング講座に参加した。
テーマは聖書的カウンセリングだ。
その中でも、セルフエスティームに関するデータが興味深かった。
セルフエスティームとは、自己尊厳みたいな意味かな?
自分を高めて、自分に自信をつけて、誇らしい自分になった時、
物事を前向きにとらえて、人生の成功へと導かれるという
現代の心理学の潮流である。
スポーツ選手なんかは、このセルフエスティームを徹底するらしい。
ケンブリッジ大学での研究で子供をセルフエスティームの心理学で育てて、
その後の追跡調査をすると、ふつうに育った子より、
あきらかに犯罪率が増えたという。
アメリカにも同様のデータがあるそうだ。
「お前はできる自信をもて」
そう育てると、高慢チキな人間になるのだということ。
バイブルは逆なのだ。
「人を自分より優れていると思いなさい」
「上に立ちたい者は、仕える(自分を低くする)者になりなさい」
モーセが燃える芝で神に出会った時は、自己像は最低であった。
パウロも罪人の親分だと自己紹介している。
格闘技なんかでは、今でこそルールはあるが、もともと死闘であった。
それゆえ、マイクパフォーマンスでは自分を鼓舞し、
対戦相手を罵倒して、卑しめる発言をふつうにする。
ある時、プライド最強の男、ヒョードルが
そのような無礼に振る舞う選手を見て、
「日本にはサムライはいなくなったのか?」と言った。
できる人ほど、身を低くする。
一流ほど、謙遜になる。
ジーザスは超一流なので、もっとも低くなった。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられたのです。」ピリピ2:5-6.
Posted by パスター・レイ at 21:10│Comments(0)
│カウンセリング
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