2009年11月12日
市橋容疑者の逮捕に思う

市橋容疑者が事件のあった千葉に護送された。
昼間、両親の会見を見たが、二人とも医者なんですね。
大学時代から数十万円のお金を毎月、送金していて、
ずっと、就職もせずに、過ごしていたという。
苦労知らずのボンボンが、逃走してから2年半。
人の目を避けて、重労働に耐え、あらゆる困難を乗り越えて過ごして来た。
人は追い込まれたら、底力を発揮して、やれるもんだと、皮肉なことだが証明されたわけだ。
今の若い人がなっていないとかではなく、
環境が安楽に過ごすことが許されないなら、
今の若い人たちだって、がんばれるんだよ。
まあ、殺人犯になってはもちろんいけないわけだが。
しかし、市橋容疑者のお母さんは、
「これから生きていけるかわからない。」心痛な気持ちを語っていた。
一人の人間の犯した罪を、身近な者が負わなければならない連帯性がある。
会社で、一人の人が上司に怒鳴られていたら、
周りにいる人たちも、その怒られている人と同じ脳波の状態になるという。
だから、自分が怒鳴られていなくても、近くの人が怒られているなら、
同じ、被害を被るわけです。
だから、援助交際やってる子が、「自分の体だから、なにやろうと勝手でしょ」
というのは、違うんです。
一人の存在が、周りを生かすこともあるし、殺すこともある。
そんな周りに責任をボクらは負っていることを意識しないといけない。
Posted by パスター・レイ at 18:42│Comments(0)
│世相
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