てぃーだブログ › じゃあがる通信 › バイブル › ゴールデンルール

2009年11月08日

ゴールデンルール

『何事でも、自分にしてもらいたいことは、 ほかの人にもそのようにしなさい』 マタイ7:12

911テロの時のニューヨーク知事はジュリアーニさん。

彼は有能な政治家で、市を改革して犯罪率を減らし、経済も立て直した。

彼は「市は福祉にお金を使い過ぎている」と言って、

毎年、予算を削っていきました。

その手腕によって、経済は立て直されていった。



しかし、ある年から予算を削るどころか、増やすように働きかけた。

なぜでしょうか?

自分も癌になって、苦しんだからです。

自分が病気に苦しんで、同じ病気で苦しむ人たちに同情できるようになった。


会社の経営者が、経営が危機だと言うことで、人員削減を視野に入れる。

当然のように思われるかもしれない。

しかし、自分がリストラされる立場になって考えるなら、

リストラで会社を立て直すことは考えられない。

いや、リストラ以外の方法でどうにか立て直すように考えるだろう。



「自分がしてもらいたいこと」を相手にするというのは、

くせものだ。

なぜなら、自分のしてもらいたいことが、

そのまま相手のためになるとは限らないから。

韓国に行った時に、現地の人と友達になって、

暖かい接待を受けた。本当にうれしかった。

日本に帰るという前日に、その人が段ボールを2ケース持って来た。

辛ラーメンが好きだと言ったら、段ボールごと買って来た。

他にも海苔とか、いろいろおみやげに持って行けと渡された。

「タコじゃないんだから。どうやって持って帰るんだ」とつっこみたくなった。

だいたい、日本人なら荷物にならないように、小物を渡すものだ。

後で聞いたら、韓国人は両手にいっぱいおみやげを持たすのが礼儀なんだって。

だから、彼は精一杯の礼儀を尽くしてくれたわけです。

このへんの、文化の違いは微妙だね。

パウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように。ギリシャ人にはギリシャ人のように」

と相手の文化や土壌に合わせる伝道をした。

相手を理解することが、相手のニーズを満たす鍵ですね。


また、それ以上に、「相手の幸せになること」を

人間が本当の意味で知っているわけがない。

使徒21章で、アガポという預言者が縄で縛る演技をして、

パウロが逮捕される預言をした。

みんな、悲しんで、パウロがエルサレムに行かないように引きとめようとした。

パウロはその態度を残念に思った。

なぜなら、神の計画はパウロをとらえられたまま、ローマへ運ぶことだった。

ローマに導いて、ヨーロッパを福音化する大きな目的があったのだ。

実際に、パウロの宣教で、ヨーロッパに福音が広がり、現在に至っている。

人間は情で反応する。

悲しいこと、傷つくことを避けようとする。

できれば、その人を安全な環境で、守りたいと思う。

しかし、それが神の道だとは限らない。

神を求めて、神を本当の意味で深く知る人以外に、

人にどう対処するべきか

わかる人はいない。


同じカテゴリー(バイブル)の記事
高慢なエドム人
高慢なエドム人(2014-11-21 07:32)

愛によって働く信仰
愛によって働く信仰(2014-10-31 06:43)

霊的メタボ
霊的メタボ(2014-10-24 06:37)


Posted by パスター・レイ at 08:39│Comments(0)バイブル
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。