2009年10月18日
豚に真珠
『聖なるものを犬に与えてはいけません。
また豚の前に、真珠を投げてはなりません。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを
引き裂くでしょうから。』マタイ7:6
「豚に真珠」一般に日本で使われる言葉になっている。
福音はすべての人に届けるべきであり、
神はすべての人が悔い改めて救われることを望んでいるとある。
しかし、ここで例外も言っているように思われる。
聖書を読んで、豚に真珠に該当する対象は2タイプと考える。
1つ目は、頑なで福音にまったく価値を見出さない者。
パウロはアジア地方で伝道してて、ユダヤ人たちが頑ななのを見て、
ちりを払って、去っていった。(使徒18:6)
また、ジーザスも、ヘロデにいろいろ質問されたが、まったく相手にしなかった。
彼のことをきつねと呼んでいた(犬じゃないのね)。
2つ目は「福音を捻じ曲げる者」
初代教会では、ユダヤ律法主義やグノーシスと言った十字架のキリストを否定する教え。
そういう者は口も聞くなとパウロは言っている。
しかし、どんなに頑なであっても、時には福音に目覚めて
180度人生を転換するケースもある。
パウロ自身、頑なで教会を迫害する者であった。
友人のⅠ氏は元キリスト教の最大異端と言われる集団の幹部であったが
今は、ジーザスに仕えている。
ボクの周りにもかつては妻を迫害し、教会に行かせないような
サタンの手下みたいな人が、まったく変わって熱心に教会に仕えている人がいる。
だから、敵対する者、福音を曲げる者へ門を閉ざせと言っているのではないと思う。
ここは、優先順位の問題と見ている。
人生は短い、時間は限られている。
だから、より価値なもの、有意義なことに使うことを教えいてるのではないか。
ある問題をもった集団や家族に虐待されて、苦しんでいる人がいる。
相談されたら、ボクは「そこから出なさい」とアドバイスする。
もちろん、慣れ親しんだ集団、家族なので、特別な思い入れがあって、
できれば、相手に変わってほしい、心を入れ替えてほしいと考えている。
しかし、どんなにがんばっても、頑なな人は簡単には変わらない。
そんな対象とかかわってどれだけ人生を失うか考えたら、
そこから出て、新しい人生を歩むように勧める。
まあ、共依存の問題があって、なかなか離れられないのだが。。。
ボクも40過ぎて、折り返し地点に来たと考えている。
これからはより、価値のあることに優先順位を置いて行動したい。
良いことはたくさんある。助けの必要な人もたくさんいる。
しかし、体は一つ。その中でより実のある対象とかかわりたい。
成長を望んでいない人よりも、成長を望む人にバイブルを伝えたい。
変わりたくない人よりも、変わりたいと願う人の手助けをしたい。
今のままでいいと古い体質にしがみつく集団よりも、
いつも新鮮な生き方を求める集団にいたい。
福音をミルクで飲む人から、堅い食事のできる人になるために
ともに励まし成長したい。
人生は一度しかないので、霊的な識別をもって、
価値ある生き方を選択していく。このことを教えているのではないだろうか。
また豚の前に、真珠を投げてはなりません。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを
引き裂くでしょうから。』マタイ7:6
「豚に真珠」一般に日本で使われる言葉になっている。
福音はすべての人に届けるべきであり、
神はすべての人が悔い改めて救われることを望んでいるとある。
しかし、ここで例外も言っているように思われる。
聖書を読んで、豚に真珠に該当する対象は2タイプと考える。
1つ目は、頑なで福音にまったく価値を見出さない者。
パウロはアジア地方で伝道してて、ユダヤ人たちが頑ななのを見て、
ちりを払って、去っていった。(使徒18:6)
また、ジーザスも、ヘロデにいろいろ質問されたが、まったく相手にしなかった。
彼のことをきつねと呼んでいた(犬じゃないのね)。
2つ目は「福音を捻じ曲げる者」
初代教会では、ユダヤ律法主義やグノーシスと言った十字架のキリストを否定する教え。
そういう者は口も聞くなとパウロは言っている。
しかし、どんなに頑なであっても、時には福音に目覚めて
180度人生を転換するケースもある。
パウロ自身、頑なで教会を迫害する者であった。
友人のⅠ氏は元キリスト教の最大異端と言われる集団の幹部であったが
今は、ジーザスに仕えている。
ボクの周りにもかつては妻を迫害し、教会に行かせないような
サタンの手下みたいな人が、まったく変わって熱心に教会に仕えている人がいる。
だから、敵対する者、福音を曲げる者へ門を閉ざせと言っているのではないと思う。
ここは、優先順位の問題と見ている。
人生は短い、時間は限られている。
だから、より価値なもの、有意義なことに使うことを教えいてるのではないか。
ある問題をもった集団や家族に虐待されて、苦しんでいる人がいる。
相談されたら、ボクは「そこから出なさい」とアドバイスする。
もちろん、慣れ親しんだ集団、家族なので、特別な思い入れがあって、
できれば、相手に変わってほしい、心を入れ替えてほしいと考えている。
しかし、どんなにがんばっても、頑なな人は簡単には変わらない。
そんな対象とかかわってどれだけ人生を失うか考えたら、
そこから出て、新しい人生を歩むように勧める。
まあ、共依存の問題があって、なかなか離れられないのだが。。。
ボクも40過ぎて、折り返し地点に来たと考えている。
これからはより、価値のあることに優先順位を置いて行動したい。
良いことはたくさんある。助けの必要な人もたくさんいる。
しかし、体は一つ。その中でより実のある対象とかかわりたい。
成長を望んでいない人よりも、成長を望む人にバイブルを伝えたい。
変わりたくない人よりも、変わりたいと願う人の手助けをしたい。
今のままでいいと古い体質にしがみつく集団よりも、
いつも新鮮な生き方を求める集団にいたい。
福音をミルクで飲む人から、堅い食事のできる人になるために
ともに励まし成長したい。
人生は一度しかないので、霊的な識別をもって、
価値ある生き方を選択していく。このことを教えているのではないだろうか。
Posted by パスター・レイ at 08:40│Comments(0)
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