2009年10月03日
厳粛な時

うちの信徒の叔父に当たる方が、亡くなって
今回、葬儀の司式を務めることになった。
その方はKさんといって、癌を患って昨日までICUにいた。
祈るために呼ばれて、木曜の夜に病院に出かけて行った。
その時は、モルヒネを打って、意識もかろうじてあるような感じでした。
家族が見守る中、Kさんに語りかけた。
「Kさん、祈りに来ました。
Kさんにはあまり時間がないので、気休めを言うことはボクにはできません。
今、Kさんは死と向き合っていますね。
不安や恐れでいっぱいだと思います。
Kさんの人生の良かったこと、悪かったこと、すべて
キリストにゆだねて、神と和解して、清算しませんか?
そう言うと、腕を組んで祈る姿勢を取った。
そして、キリストを受け入れいれる祈りを声を振り絞って、復唱してくれた。
最後は、声にならなかったが、確かに口は祈りの言葉で動いていた。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、
死からいのちに移っているのです。』ヨハネ5:24
Kさんの魂が、死からいのちへと移ったと確信した。
病室が、神の霊に包まれた厳粛な時間であった。
ジーザスと一緒に十字架にかかった強盗の一人は、
ジーザスの高貴な姿に、神の子を見た。それで、
死後に自分を覚えてくれるように一言添えた。
あまりにも悪い人生だったので、天国に連れて行ってとは言えなかったのかもしれない。
しかし、その強盗に「あなたはわたしとともに、今日、パラダイスに入る」
と言われた。なんと気前のよい話だろうか。
しかし、これは真理なのだ。
ジーザスを呼ぶ者は、すみやかに救われる。
そんな、すばらしい救いの時に立ち会えることができて、嬉しかったです。
Posted by パスター・レイ at 20:24│Comments(0)
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