2009年07月10日
今朝のみことば1
台湾の山岳
今朝のディボーションは
詩篇103篇6~14節
『主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。
主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。
主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように、
私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
主は、私たちの成り立ちを知り、
私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。』
イスラエル人はエジプトで奴隷として牛馬のようにこき使われ、
苦悩の毎日を歩んでいた。
誰も助ける者もなく、また、彼らも頑なな人たちで、
決して、正しい民ではなかった。
ただ、主が憐み深いので、その愛ゆえ、その叫びを聞かれて、
エジプトから救いだした。
イスラエルの民がちりでできた、取るに足りない存在であることを百も承知で、
愛してくださった。
ボクも、イスラエル同様、ちりの存在。
そのちりの存在をなぜ、見捨てず、
しかも、ご自分が一番、大切な御子を、ボクらのために
差し出して、くださるのか、
理解に苦しむ。
なぜ、こんなに愛してくださるのか?
人間をその犯した罪に従って、報われないと。
因果法則が成り立たない。
なぜ?
キリストがその罪の刈り取りを十字架でしてくださったから。
ああ、ただ、この深い愛に、感動するばかりだ。
ボクは元はちりの存在。
ちりはちりのままなら、ただの物質だ。エントロピーの法則で消えていく。
しかし、そのちりに神は息(霊)を吹きかけられて、
生きた存在としてくださった。
ボクが生きた存在とするなら、それはただ、主がいのちの霊を与えてくださるゆえ。
ボクの存在はただ、主ゆえ成り立っている。
主に栄光あれ。
Posted by パスター・レイ at 09:17│Comments(1)
│バイブル
この記事へのコメント
はじめまして。パスターレイさん。本当に主イエス様の十字架の恵みはすばらしいですね。
さて、たまたまORCの裁判のことを知りました。沖縄の牧師さんたち、弱い者の味方に是非なってください。パスターレイさんが沖縄の牧師と知り、おじゃましました。
「主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる」
パスターレイさんの力を弱い立場の方々にお貸し下さい。
さて、たまたまORCの裁判のことを知りました。沖縄の牧師さんたち、弱い者の味方に是非なってください。パスターレイさんが沖縄の牧師と知り、おじゃましました。
「主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる」
パスターレイさんの力を弱い立場の方々にお貸し下さい。
Posted by 遠くのしもべ at 2009年07月11日 20:06