2009年07月05日
子育て雑感
以前も書いたが、長女が今、高校受験の準備で
本人も、よく勉強して、親ながら感心している。
ボクは長女に一度も勉強しなさいとか、強制したことはない。
それでも、自分から進んで努力している。
ボクの学生時代とはまったく違うんだよね。
ボクは親だけど、内心、長女を尊敬している。
そして、問題は小6の次女。
この娘がずぼらで、勉強はせんし、片付けが苦手で、
昨日も午後1時に起きてきた。(昼食も終わってからですよ)
で、けっこう我が強くて、お姉ちゃんをいつも困らせる。
子育てで葛藤が多いのは、この次女ですね。
最近、ウサギ小屋を掃除して、友達と遊ぶように、
朝、約束して、見送った。
放課後、約束なんか、まったく守っていなくて、遊びまくって
家に帰ってきた。そして、平気な顔をしている。
思わず、感情的に「こりゃ、親なめとんのか」
と怒りをあらわに怒ってしまった。
次女のやることなすことが、ボクの冷静さを失わせる。
しかし、最近、わかってきたことがある。
その怒りは次女に対してではなく、自分に対しての怒りであると。
フロイトがある精神を病んだ人をカウンセリングした。
彼の父シュレーバーは大学の教授で、教育熱心で、いつも、親身になって、
子供の面倒をみた。
それなのに、息子は精神が病んだ。治療を受けた彼だけじゃなく、兄弟がみな。
フロイトが分析してみると、シュレーバーが教育熱心だったのは、
子供のためではなくて、
子供の中にある、自分と類似した認めたくない部分をもみ消すための行為であったこと。
怠慢、勉強嫌いなど、自分の負の部分によって、失敗した自分の経験を
子供が自分の目の前で再現するのが、耐えられないだけであったということ。
だから、シュレーバーは徹底的に子供の悪い部分を矯正した。
大リーグ強制ギブスのような装置をはめられた子供たちは
自尊心を失って、心が壊れた。ほんとに悲劇である。
まあ、言って見れば、次女はボクにそっくりだと言うことです。
その引き出されるマイナスの感情を次女の問題にしてはいけないと言うこと。
それは自分の中にある問題。
問題を外に求めても、解決はない。
それは、自分でわかっている。それでも、人や環境のせいにしちゃうんだよね。
悲しいボク。
バイブルに奴隷の苦役を受けた400年を終えて、
エジプトから脱出したイスラエルの物語がある。
彼らは自由の身になった。
これからは、自分の意思で決定して、自分の足で歩くことができるようになった。
しかし、彼らは神が与える環境に文句を言い、指導者モーセを困らせる。
挙句の果てには「奴隷時代の方が幸せだったよお」と言ってしまう。
彼らは奴隷が苦しくて、泣き叫んでいた。だから、助けてもらった。
それなのに与えられた自由を台無しにしてしまう。
けっきょく、堂々めぐりの40年間を送って、人生を終えてしまった。
ジーザスは外側で起こることを通して、自分の中にある心を取り扱っている。
人を変えようとしても、環境を変えようとしても、
絶対に、解決しない。
振り返れば、40を過ぎてしまった。
なんか、堂々めぐりをしている人生だったような。
自分を変えるということが、一番、たいへんなかじ取りであり、
しかし、大きな配当のある決断だと思う。
ある人が「進みだした乗り物は操縦しやすい」と言った。
止まった車はハンドルが切れない。しかし、動き出したら、簡単に
方向をコントロールできる。
少しでも、自分を変える方向へ進むこと。
なにはともあれ、子育てを通して、
自分を見つめる。
次女には感謝しています。
ほんとに。
本人も、よく勉強して、親ながら感心している。
ボクは長女に一度も勉強しなさいとか、強制したことはない。
それでも、自分から進んで努力している。
ボクの学生時代とはまったく違うんだよね。
ボクは親だけど、内心、長女を尊敬している。
そして、問題は小6の次女。
この娘がずぼらで、勉強はせんし、片付けが苦手で、
昨日も午後1時に起きてきた。(昼食も終わってからですよ)
で、けっこう我が強くて、お姉ちゃんをいつも困らせる。
子育てで葛藤が多いのは、この次女ですね。
最近、ウサギ小屋を掃除して、友達と遊ぶように、
朝、約束して、見送った。
放課後、約束なんか、まったく守っていなくて、遊びまくって
家に帰ってきた。そして、平気な顔をしている。
思わず、感情的に「こりゃ、親なめとんのか」
と怒りをあらわに怒ってしまった。
次女のやることなすことが、ボクの冷静さを失わせる。
しかし、最近、わかってきたことがある。
その怒りは次女に対してではなく、自分に対しての怒りであると。
フロイトがある精神を病んだ人をカウンセリングした。
彼の父シュレーバーは大学の教授で、教育熱心で、いつも、親身になって、
子供の面倒をみた。
それなのに、息子は精神が病んだ。治療を受けた彼だけじゃなく、兄弟がみな。
フロイトが分析してみると、シュレーバーが教育熱心だったのは、
子供のためではなくて、
子供の中にある、自分と類似した認めたくない部分をもみ消すための行為であったこと。
怠慢、勉強嫌いなど、自分の負の部分によって、失敗した自分の経験を
子供が自分の目の前で再現するのが、耐えられないだけであったということ。
だから、シュレーバーは徹底的に子供の悪い部分を矯正した。
大リーグ強制ギブスのような装置をはめられた子供たちは
自尊心を失って、心が壊れた。ほんとに悲劇である。
まあ、言って見れば、次女はボクにそっくりだと言うことです。
その引き出されるマイナスの感情を次女の問題にしてはいけないと言うこと。
それは自分の中にある問題。
問題を外に求めても、解決はない。
それは、自分でわかっている。それでも、人や環境のせいにしちゃうんだよね。
悲しいボク。
バイブルに奴隷の苦役を受けた400年を終えて、
エジプトから脱出したイスラエルの物語がある。
彼らは自由の身になった。
これからは、自分の意思で決定して、自分の足で歩くことができるようになった。
しかし、彼らは神が与える環境に文句を言い、指導者モーセを困らせる。
挙句の果てには「奴隷時代の方が幸せだったよお」と言ってしまう。
彼らは奴隷が苦しくて、泣き叫んでいた。だから、助けてもらった。
それなのに与えられた自由を台無しにしてしまう。
けっきょく、堂々めぐりの40年間を送って、人生を終えてしまった。
ジーザスは外側で起こることを通して、自分の中にある心を取り扱っている。
人を変えようとしても、環境を変えようとしても、
絶対に、解決しない。
振り返れば、40を過ぎてしまった。
なんか、堂々めぐりをしている人生だったような。

自分を変えるということが、一番、たいへんなかじ取りであり、
しかし、大きな配当のある決断だと思う。
ある人が「進みだした乗り物は操縦しやすい」と言った。
止まった車はハンドルが切れない。しかし、動き出したら、簡単に
方向をコントロールできる。
少しでも、自分を変える方向へ進むこと。
なにはともあれ、子育てを通して、
自分を見つめる。
次女には感謝しています。
ほんとに。

Posted by パスター・レイ at 08:37│Comments(2)
│コラム
この記事へのコメント
わたしの息子もわたしにそっくりで
わたし自身を息子に見て長い間苦しみました。
でも、それが自分の問題を見つめるきっかけになったし
今はわたしも息子&娘にも感謝しています。
>「進みだした乗り物は操縦しやすい」
って、ほんといい例えですね。
わたしもこれからもどんどん変化していきたいです。
わたし自身を息子に見て長い間苦しみました。
でも、それが自分の問題を見つめるきっかけになったし
今はわたしも息子&娘にも感謝しています。
>「進みだした乗り物は操縦しやすい」
って、ほんといい例えですね。
わたしもこれからもどんどん変化していきたいです。
Posted by ともちゃん at 2009年07月07日 22:48
ともちゃんへ
神様によって、
子供と一緒に育ててもらっている感じですよね。
しかし、ともさんのブログに出てくる写真は情緒があって
いいですよ。
神様によって、
子供と一緒に育ててもらっている感じですよね。
しかし、ともさんのブログに出てくる写真は情緒があって
いいですよ。
Posted by パスターレイ at 2009年07月08日 07:24