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2008年10月28日

サムシング・グレート

世界で初めて「ヒト・レニン遺伝子の解読に成功した筑波大学名誉教授の村上和雄先生は、

解読した喜びに浸っている時、あることに気づきました。

「解読したのも凄いけど、その遺伝子を書き込んだことの方が、もっと凄いよな。」

そして、村上先生はこのように言っています。

「飛行機はまず、空を飛ばしたいという人の意思が、設計図を作ります。

何の意思も目的もなく、描けることは不可能です。生命も同じだと私は考えます。

このように生命を作り、人間を育て上げようという創造意思のようなものがなかったら、

生命は誕生しなかったと考えざるをえません。

最先端の科学の現場で、そのことをつくづく思うのです。

ある有名な天文学者が、生命が偶然に生まれるとしたら、

その確立は1000・・・と0を40万個並べたうちのたった1回だと論文を書いています。

・・・そこには今までの科学では想像を絶する、力、条件、意思のようなものがあったとしか、

言いようがありません。」


村上先生はその力、意思を「サムシング・グレート」と表現しています。

「偉大な何者か」


それは、バイブルにある神ですよ。


「初めに神は天と地を創造した。」創世記1章1節

別に「神なんかいない」

と言ってもいいよ。自由だよ。

でも、


科学者が科学を追及し、偏見なしで、謙虚に結論を出すなら、

村上先生のように、

偉大な何者かを認めざる得ないのです。



バイブルは神がいるか、いないか、議論さえしていない。

「初めに神が・・」

といることが当たり前で、前提として書かれている。


「進化論はどうなるんだ?」

と言われそうですけど、

日本の教科書に載っている進化論に関して

監修をした、今西錦司先生は

「今西棲み分け論」を展開して、

世界的にも有名だった人なんだけど、

登山が好きな人だったらしく、

山に登って

自然界を眺めて考えたのかわからないけど、

「進化論は間違いだった」と

断言して、進化論をやめて亡くなった。

一説には、教会で洗礼を受けたと聞いたけど、

定かではない。


だから、進化論を理解していない人が進化論を信じていて、

よく理解している人は、その矛盾に気づいている。

だいいち、「進化する」と言っている時点で、

科学であるエントロピーの法則や

統計確立の世界を逆行している。



進化論が本当なら、人間はたまたまできた偶然の産物であり、

それ以後、生き残りをかけて、サバイバルしなければならず、

弱い者は淘汰され、

強い者だけが残り、進化していく。

こんな世界だよ。


でも、バイブルは人間は偶然ではなく、

神の愛の意思と目的があり、

その愛の対象として造られた。

生きる目的はその神を知ることなしには理解できない。

バイブルは人間の取り扱い説明書ですよ。


もともとはバイブルは神がいるか?、いないか?

などと、議論なんかしていなし、証明しようともしていない。

「初めに神が・・」と存在を前提として書かれている。


そう、神を認めることが人間が人間らしく生きるスタート。

「主を恐れることは知識の初めである。」箴言1章7節
くれぐれも、


「愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。」詩篇14篇1節

にならないように気をつけよう。


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Posted by パスター・レイ at 10:02│Comments(0)バイブル
 
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