2008年09月14日
9/14説教

今朝の教会での説教を要約しました
よかったら読んでみてください
バイブルにはジーザスを慕う弟子を含めた人たちと、
ジーザスに敵対する、権力にあぐらをかく宗教家と彼らに付随する人たち
二組に分かれている
しかし、
バイブルを注意深く読むと、そのどちらでもない人たちもけっこういる。
ジーザスに従うには従うけど、途中、つまずいて、離れてしまう人たち
「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、
もはやイエスとともに歩かなかった。」ヨハネ6:66
また、パウロも同じことを体験した。
「あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、
私を離れて行きました。」 Ⅱテモテ1:15
人間は自分の利害が一致する場合はうまくやっていけるもの
しかし、その人が自分に苦痛をもたらす時、
また、自分の求めるもの以外を差し出される時、
とまどうもの。
宗教にむらがる理由の多くは
ご利益をもたらすかどうか
しかし、ジーザスが求めるものは、いのちの関係
夫婦と同じもの。
妻が夫を信じ、自分をゆだねてついていくように
このお方が真実で、自分のいのちを預けるにふさわしいと
決めた時から、自分の利害ではなく、
深い信頼をおいてともに歩む
だから、ジーザスを信じることはいのちの関係であり、宗教じゃない
ルツというモアブ人の女性が姑ナオミに言った言葉
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。
あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 」
昔、ある人から、このルツの告白の「あなた」という部分に
「イエス様(ジーザス)」と入れて、告白してごらん
心から言えるかい?
どうだろうか?
先週紹介した本で、サリン事件の河野さんの話
河野さんは逮捕はされないものの、世間から犯人扱いされて、
死んだ方が楽だと思える苦しい状況で、何人か、
彼を見捨てずに支えた人物がいるわけ。
その中の一人で河野さんが勤めていた会社の社長がいる。
治療や取り調べで出勤できない河野さんに、
給料もボーナスも振り込み続けたそうだ。
後に、疑惑が晴れた時に、会社の人から社長のことを聞かされた。
会社でも河野さんは犯人と思われていて、
解雇しないと他の社員に悪い影響を与えると社長は忠告された。
しかし、社長は「まだ、犯人と決まったわけじゃない。
はっきりするまでは、河野を支える」
また取引先が「河野を雇い続けるようなら取引中止」と言われても、
首にしなかった。その結果、多くの損害を被った。
それでも信じ続けた。
こんな人なら信頼できるでしょう?
信じるということは信じ続けるということ。
時間の継続の中で、その人と信頼の関係を続けていく。
また、ジーザスは信じるに足りるお方。
人生のなぜ?を今、ゆだねよう
ジーザスに敵対する、権力にあぐらをかく宗教家と彼らに付随する人たち
二組に分かれている
しかし、
バイブルを注意深く読むと、そのどちらでもない人たちもけっこういる。
ジーザスに従うには従うけど、途中、つまずいて、離れてしまう人たち
「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、
もはやイエスとともに歩かなかった。」ヨハネ6:66
また、パウロも同じことを体験した。
「あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、
私を離れて行きました。」 Ⅱテモテ1:15
人間は自分の利害が一致する場合はうまくやっていけるもの
しかし、その人が自分に苦痛をもたらす時、
また、自分の求めるもの以外を差し出される時、
とまどうもの。
宗教にむらがる理由の多くは
ご利益をもたらすかどうか
しかし、ジーザスが求めるものは、いのちの関係
夫婦と同じもの。
妻が夫を信じ、自分をゆだねてついていくように
このお方が真実で、自分のいのちを預けるにふさわしいと
決めた時から、自分の利害ではなく、
深い信頼をおいてともに歩む
だから、ジーザスを信じることはいのちの関係であり、宗教じゃない
ルツというモアブ人の女性が姑ナオミに言った言葉
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。
あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 」
昔、ある人から、このルツの告白の「あなた」という部分に
「イエス様(ジーザス)」と入れて、告白してごらん
心から言えるかい?
どうだろうか?
先週紹介した本で、サリン事件の河野さんの話
河野さんは逮捕はされないものの、世間から犯人扱いされて、
死んだ方が楽だと思える苦しい状況で、何人か、
彼を見捨てずに支えた人物がいるわけ。
その中の一人で河野さんが勤めていた会社の社長がいる。
治療や取り調べで出勤できない河野さんに、
給料もボーナスも振り込み続けたそうだ。
後に、疑惑が晴れた時に、会社の人から社長のことを聞かされた。
会社でも河野さんは犯人と思われていて、
解雇しないと他の社員に悪い影響を与えると社長は忠告された。
しかし、社長は「まだ、犯人と決まったわけじゃない。
はっきりするまでは、河野を支える」
また取引先が「河野を雇い続けるようなら取引中止」と言われても、
首にしなかった。その結果、多くの損害を被った。
それでも信じ続けた。
こんな人なら信頼できるでしょう?
信じるということは信じ続けるということ。
時間の継続の中で、その人と信頼の関係を続けていく。
また、ジーザスは信じるに足りるお方。
人生のなぜ?を今、ゆだねよう
Posted by パスター・レイ at 09:25│Comments(0)
│バイブル