2008年09月06日
灰色人間
夜どおし、元気なせいか、昼間は居眠りします
出かける時は、なるべく連れて行きますね。
カウンセリングをすると、
だいたいみんな自分が被害者の部分を話しますね。
相手がどれだけ自分を苦しめているか、
みんなそうです。
みんなカウンセラーに味方になってもらいたいし、
自分の痛みをわかったもらいたい。
間違っても「あなたにも非があるのではないですか?」
とか言ったら、心が貝のように閉ざすよ。
そんな自己反省ができるなら、カウンセリングなんか受けない。
以前、夫と妻両方を別々に話を聞いたことあるけど、
夫の話を聞く時も「ふむふむ、たいへんだね。」
妻の話を聞く時も「それはひどいよね」
とか言って、両方に同情しているわけね。
よく考えると、「自分って二枚舌じゃん」
とか思ったりする。
でも、でも、どっちの側につくと言うよりも、
その時、対面している人の味方になってるね。
両方の話を同時に聞いた時はどうしよう?
その時、感じたままに話せばいいね。
子供の体にアザができるぐらい、虐待する母親も
よほど、極悪人かと言うと、
そうでもない。
昼間、自分をコントロールできずに泣きわめくわが子を
思いっきりたたいて、
感情がおさまると
夜、眠ったわが子の体のアザを見て、
「ごめんね」と泣いてるお母さんもいるわけ。
だから、人間は善人か悪人か?
と聞かれた時、ボクは「白でもない、かと言って黒でもない
灰色だな」と答えたことがある。
みんな良い部分もあれば、悪い部分もある。
被害者であり、加害者でもある。
そして、この被害者の部分がいやされないと、
いつでも加害者になる。
だから、その人の非(加害者の部分)には目をつぶって
被害者の部分に心を注ぐ。
いやされると、案外「自分も悪かったです」
なんて、素直になったりするもの。
大岡越前や遠山の金さんのように
両者の間を裁くのは一番苦手だし、また、へたです。
物事に善悪をつけるのも性に合わない。
でも、人間には白黒つけられない部分もあると思います。
なるべく1対1で対話して、その人の味方になって
生きていきたいです。
だいたいみんな自分が被害者の部分を話しますね。
相手がどれだけ自分を苦しめているか、
みんなそうです。
みんなカウンセラーに味方になってもらいたいし、
自分の痛みをわかったもらいたい。
間違っても「あなたにも非があるのではないですか?」
とか言ったら、心が貝のように閉ざすよ。
そんな自己反省ができるなら、カウンセリングなんか受けない。
以前、夫と妻両方を別々に話を聞いたことあるけど、
夫の話を聞く時も「ふむふむ、たいへんだね。」
妻の話を聞く時も「それはひどいよね」
とか言って、両方に同情しているわけね。
よく考えると、「自分って二枚舌じゃん」
とか思ったりする。
でも、でも、どっちの側につくと言うよりも、
その時、対面している人の味方になってるね。
両方の話を同時に聞いた時はどうしよう?
その時、感じたままに話せばいいね。
子供の体にアザができるぐらい、虐待する母親も
よほど、極悪人かと言うと、
そうでもない。
昼間、自分をコントロールできずに泣きわめくわが子を
思いっきりたたいて、
感情がおさまると
夜、眠ったわが子の体のアザを見て、
「ごめんね」と泣いてるお母さんもいるわけ。
だから、人間は善人か悪人か?
と聞かれた時、ボクは「白でもない、かと言って黒でもない
灰色だな」と答えたことがある。
みんな良い部分もあれば、悪い部分もある。
被害者であり、加害者でもある。
そして、この被害者の部分がいやされないと、
いつでも加害者になる。
だから、その人の非(加害者の部分)には目をつぶって
被害者の部分に心を注ぐ。
いやされると、案外「自分も悪かったです」
なんて、素直になったりするもの。
大岡越前や遠山の金さんのように
両者の間を裁くのは一番苦手だし、また、へたです。
物事に善悪をつけるのも性に合わない。
でも、人間には白黒つけられない部分もあると思います。
なるべく1対1で対話して、その人の味方になって
生きていきたいです。
Posted by パスター・レイ at 19:13│Comments(0)
│コラム