2008年04月09日
心の場所3

アパート前の花壇の花です。
朝、仕事前に心を潤してくれます。
スケートの真央ちゃんをはじめて見た時は、衝撃的だった。
技術的に優れいているのはもちろんだが、
笑顔で喜んで滑る姿は、とてもすがすがしくて、
競技として滑るというより、ただ、スケートが好きで、
楽しんでいるという感じでした。
しかし、翌年になると、スケートが一変している感じでした。
技術的には、向上しているんでしょうが、
表情や演技に去年のような、自由さがない感じ。
何か、悩んでいるようだった。
1年前の活躍で、マスコミを通して、注目されて、
人の目が気になりだしたんだと思う。
人の目にさらされると、急に、その評価が気になりだして、
自分を見失うということはよくある。
昨日の話に戻るけど、
アダムとイヴがエデンの園で暮らし始めた時、
お互い裸で暮らしていた。
バイブルでは、「それが恥ずかしいと感じなかった」
とある。
真央ちゃんの話じゃないけど、自分を自由に表現し、
他人の評価なんか気にならない状態。
それは、彼らを造った神と、霊がつながっていたので、
安息していたということです。
具体的に、つながるとはどういうことかと言うと
神は愛だとバイブルは言うけど、
その愛とは、無条件の愛なんです。
無条件の愛を説明する時に、
ボクらの世界になじみのある
条件付の愛を説明したい。
その人の容姿だとか、何ができるとか、
性格の良し悪しだとか、話がおもしろいとか、
その人の持っている能力、キャラクターとかでその人を見る。
何かできると、評価されるし、できないと×
日本では、KYって言うけど、
それは集団が求めるものを見分けて、
集団が求めるものに合わせて行く。
自分がどう思うとか、感じるとか、いっさい関係なく、
その空気を読んで、そこから疎外されないように、
必死に合わせる。
KYだと、受け入れられない。
ここでのメッセージは「私たちの要求どおり合わせたら愛する」
条件がついているわけだ。
タイガーウッズがあるスポーツメーカーのCMに出てた時の内容。
幼少からプロになるまでの、彼の活躍するシーンの映像が流れて、
そこにテロップが出る。
あまり覚えていないけど
アマチュアからプロになるまでのずば抜けた成績が並べられて、
最後にプロ最高峰のマスターズ優勝とあった。
そして、一呼吸おいて、
「これで私を愛してくれますか?」
彼は幼い頃から、才能が評価されて、
注目を浴びていた。しかし、人々の人種差別的な反応が
たくさんあったそうだ。
そんな中で、努力して、プロゴルフのトップに上り詰めた。
そのがんばりで、「ボクを評価してくれるかい?」
という問いかけなんだ。
がんばったから認めてほしい。
逆に言うと、できないと認められない
この世界には安息がない。
できる自分しか認められないんだから。
そういう世界で、生きているから、
多少、がんばれる。能力が評価されている人は、
生き残って優越感に浸れるだろうけど、
弱さを見せられない厳しい世界だと思う。
できない人は、だめ人間のレッテルを貼られるね。
前節が長くなったけど、
無条件の愛はその逆で、あるがまま受け入れてくれる愛。
神の愛は
「あなたはあなただから、すばらしい」「あなたの存在自体が尊い」
スマップの歌じゃないけど、世界でただ一人のあなただから愛する。
それが無条件の愛なんです。
神がアダムとエバをそういう目で見るから、
心が自由になるわけよ。
あるがまま神が愛してくれるから、
自分がどうとか気にならないわけ。
極端な話、自分に関心を持たなくなる状態なんです。
心の病気って、自分に執着することが大きな原因だと思う。
愛されていないと感じるから、
自分のなにがいけないのか?
がんばりが足りないのか?
どうすれば魅力的に受け入れられる存在になれるか?
人に認められる意義ある人生をどうすれば送れるか。
そういうことを考え出して、
その基準に足りない自分を見つけるもんだから、
悩むわけ。
自分にフォーカスが集まるわけです。
無条件で愛されると、
その基本欲求が満たされるので、
その人の関心が、自分から離れるわけ。
そういう人は傷つかない。
人がどんな言葉で罵っても、
自分は愛されて受け入れられている。
という絶対的な保障が心にあるから、
人の言葉で確認をしたり、それで評価を上げる必要もない。
また、自分に執着がないから、その言葉がダメージにならない。
「なんでそんなこと言うんだろ。この人」
ぐらいな感じで受け流す。
小さな子が裸でも平気で人の前で走り回るでしょ。
彼らには「自分という人間はどうなんだ?」
みたいな、自我はないんです。
彼らにとって、大切なのは、
親の扶養の中で、絶対的な守りがあるということ。
その安心感だけで生きられる。
また、親も小さい子供には、何も要求しない。
歩いたら褒め、言葉を覚えたら褒め、ちゃんと面倒を見る。
しかし、年月とともに、条件付の価値観の中に入れられる。
その中で、受け入れられるための、人と自分との距離感を
身に着けていく。
つまり、裸のままの自分じゃ受け入れられないんだ。
ということを学ぶ。
そんな中で、大きなストレスをためているんですよ。みんな。
少しばかり、できる人は、まだ、がんばるだろうし、
心の基礎体力のない弱い人は、
うつやら、パニックとか、いろいろ心が病んでしまいます。
人間が帰りたい、心の故郷は無条件の愛への回帰。
アダムとイヴがはじめに体験した愛の関係。
そこに人間は帰りたがっている。
だから、無意識に、スピリチャルなものを求める。
神は霊なので、この無条件の愛で触れる霊によって、
満たされる。
ボクも中途半端なゲスな野郎だけど、
この愛にたまに触れるから生きていられる。
また、続きは次回。
いや~ ブログ開設以来、
最長文だな。
がんばっちゃった。
技術的に優れいているのはもちろんだが、
笑顔で喜んで滑る姿は、とてもすがすがしくて、
競技として滑るというより、ただ、スケートが好きで、
楽しんでいるという感じでした。
しかし、翌年になると、スケートが一変している感じでした。
技術的には、向上しているんでしょうが、
表情や演技に去年のような、自由さがない感じ。
何か、悩んでいるようだった。
1年前の活躍で、マスコミを通して、注目されて、
人の目が気になりだしたんだと思う。
人の目にさらされると、急に、その評価が気になりだして、
自分を見失うということはよくある。
昨日の話に戻るけど、
アダムとイヴがエデンの園で暮らし始めた時、
お互い裸で暮らしていた。
バイブルでは、「それが恥ずかしいと感じなかった」
とある。
真央ちゃんの話じゃないけど、自分を自由に表現し、
他人の評価なんか気にならない状態。
それは、彼らを造った神と、霊がつながっていたので、
安息していたということです。
具体的に、つながるとはどういうことかと言うと
神は愛だとバイブルは言うけど、
その愛とは、無条件の愛なんです。
無条件の愛を説明する時に、
ボクらの世界になじみのある
条件付の愛を説明したい。
その人の容姿だとか、何ができるとか、
性格の良し悪しだとか、話がおもしろいとか、
その人の持っている能力、キャラクターとかでその人を見る。
何かできると、評価されるし、できないと×
日本では、KYって言うけど、
それは集団が求めるものを見分けて、
集団が求めるものに合わせて行く。
自分がどう思うとか、感じるとか、いっさい関係なく、
その空気を読んで、そこから疎外されないように、
必死に合わせる。
KYだと、受け入れられない。
ここでのメッセージは「私たちの要求どおり合わせたら愛する」
条件がついているわけだ。
タイガーウッズがあるスポーツメーカーのCMに出てた時の内容。
幼少からプロになるまでの、彼の活躍するシーンの映像が流れて、
そこにテロップが出る。
あまり覚えていないけど
アマチュアからプロになるまでのずば抜けた成績が並べられて、
最後にプロ最高峰のマスターズ優勝とあった。
そして、一呼吸おいて、
「これで私を愛してくれますか?」
彼は幼い頃から、才能が評価されて、
注目を浴びていた。しかし、人々の人種差別的な反応が
たくさんあったそうだ。
そんな中で、努力して、プロゴルフのトップに上り詰めた。
そのがんばりで、「ボクを評価してくれるかい?」
という問いかけなんだ。
がんばったから認めてほしい。
逆に言うと、できないと認められない
この世界には安息がない。
できる自分しか認められないんだから。
そういう世界で、生きているから、
多少、がんばれる。能力が評価されている人は、
生き残って優越感に浸れるだろうけど、
弱さを見せられない厳しい世界だと思う。
できない人は、だめ人間のレッテルを貼られるね。
前節が長くなったけど、
無条件の愛はその逆で、あるがまま受け入れてくれる愛。
神の愛は
「あなたはあなただから、すばらしい」「あなたの存在自体が尊い」
スマップの歌じゃないけど、世界でただ一人のあなただから愛する。
それが無条件の愛なんです。
神がアダムとエバをそういう目で見るから、
心が自由になるわけよ。
あるがまま神が愛してくれるから、
自分がどうとか気にならないわけ。
極端な話、自分に関心を持たなくなる状態なんです。
心の病気って、自分に執着することが大きな原因だと思う。
愛されていないと感じるから、
自分のなにがいけないのか?
がんばりが足りないのか?
どうすれば魅力的に受け入れられる存在になれるか?
人に認められる意義ある人生をどうすれば送れるか。
そういうことを考え出して、
その基準に足りない自分を見つけるもんだから、
悩むわけ。
自分にフォーカスが集まるわけです。
無条件で愛されると、
その基本欲求が満たされるので、
その人の関心が、自分から離れるわけ。
そういう人は傷つかない。
人がどんな言葉で罵っても、
自分は愛されて受け入れられている。
という絶対的な保障が心にあるから、
人の言葉で確認をしたり、それで評価を上げる必要もない。
また、自分に執着がないから、その言葉がダメージにならない。
「なんでそんなこと言うんだろ。この人」
ぐらいな感じで受け流す。
小さな子が裸でも平気で人の前で走り回るでしょ。
彼らには「自分という人間はどうなんだ?」
みたいな、自我はないんです。
彼らにとって、大切なのは、
親の扶養の中で、絶対的な守りがあるということ。
その安心感だけで生きられる。
また、親も小さい子供には、何も要求しない。
歩いたら褒め、言葉を覚えたら褒め、ちゃんと面倒を見る。
しかし、年月とともに、条件付の価値観の中に入れられる。
その中で、受け入れられるための、人と自分との距離感を
身に着けていく。
つまり、裸のままの自分じゃ受け入れられないんだ。
ということを学ぶ。
そんな中で、大きなストレスをためているんですよ。みんな。
少しばかり、できる人は、まだ、がんばるだろうし、
心の基礎体力のない弱い人は、
うつやら、パニックとか、いろいろ心が病んでしまいます。
人間が帰りたい、心の故郷は無条件の愛への回帰。
アダムとイヴがはじめに体験した愛の関係。
そこに人間は帰りたがっている。
だから、無意識に、スピリチャルなものを求める。
神は霊なので、この無条件の愛で触れる霊によって、
満たされる。
ボクも中途半端なゲスな野郎だけど、
この愛にたまに触れるから生きていられる。
また、続きは次回。
いや~ ブログ開設以来、
最長文だな。
がんばっちゃった。
Posted by パスター・レイ at 00:22│Comments(2)
│コラム
この記事へのコメント
うーん…。
少なからずも教育に携わる者として、とても考えさせられる内容です。
ホント、今の子たちは、ずいぶんと息苦しい中で生きているんだよな。
彼らにとっては、大勢いる中の一職員との関わりなんて、いかばかりか?! …なんて思ってしまうけれど、だからこそ… なんですよね。
きちんと主にあっての無条件の愛で、ひとりひとりと向き合っていかなきゃって…。 そうできる者でありたいと、祈らされます。
少なからずも教育に携わる者として、とても考えさせられる内容です。
ホント、今の子たちは、ずいぶんと息苦しい中で生きているんだよな。
彼らにとっては、大勢いる中の一職員との関わりなんて、いかばかりか?! …なんて思ってしまうけれど、だからこそ… なんですよね。
きちんと主にあっての無条件の愛で、ひとりひとりと向き合っていかなきゃって…。 そうできる者でありたいと、祈らされます。
Posted by mie-mie- at 2008年04月09日 01:00
mie-mieさんへ
お久しぶりです。
元気でした?
@・・彼らにとっては、大勢いる中の一職員と の関わりなんて、いかばかりか?! …
いえいえ、mie-mieさんとの
小さなかかわりが、
大きな支えにあると思うよ。
愛してあげてね。
お久しぶりです。
元気でした?
@・・彼らにとっては、大勢いる中の一職員と の関わりなんて、いかばかりか?! …
いえいえ、mie-mieさんとの
小さなかかわりが、
大きな支えにあると思うよ。
愛してあげてね。
Posted by パスターレイ at 2008年04月09日 21:21