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2008年02月23日

決別



決別


豊崎の方で、ランチしました。


そこの海に面する公園です。






最近、亡くなった河合隼雄氏は、


人が自分の自我の成長とともに、


今までの関係から、新しい領域に入るために、


決別の時があると言っています。


思春期の少年が、


自我が芽生え、


親に反抗することによって、


自立に向かうプロセスですね。


この決別の体験が自分にもあった気がします。


16年前、今のワイフと婚約した時、


実家に初めて連れてきた。


その時、式のこと、住居のことなど、


穏やかな談笑があった。


その時、何の前触れもなく、(本当に自分に意図はなかった)


自分の口から、父親に対して、


幼少期から、さかのぼって、


父親に苦しめられたこと、


どんなに悩んできたかを、


機関銃のように、すごいスピードで、


訴えているわけ。


涙も流れている。


ここで、父親が謝り、


お互いに抱きしめ合えば、


感動のシーンになるのだろうが、


人間は責められると、謝らない。


自己防衛に入る。


今度は、父親が怒り出す。


こんな席でなんと言うことを言うんだ。


お前は頭がおかしい。


悪口雑言を言い返される。


でも、すべてをぶちまけたボクは、


とても、気分爽快で、父親に対して、


何か、今までこだわっていたものが、なくなって


反撃する気にもなれなかった。


今考えれば、これは、親との決別だったと思う。


もちろん、親と勘当したわけでもなく、


喧嘩別れしたのでもない。


今まで、親に愛されたい、受け入れられたい


という、期待を捨てて、


親と決別して、結婚して、新しい


家族を築いて行く。


古い家族に対するこだわりを新しい家族に持ち込まない。


そんな、象徴的な出来事でした。


孤立と自立は違う。


親との関係から自立して、


対等な関係でかかわっていく。


そんなふっきれたところから、


本当の意味で、親を愛せるし、


助けたり、助けられたりするんだと思う。



決別がないと、それは依存関係だし、


そこに存在するのは、慣れ合いであり、


自分のために相手を利用することだから、


それは愛ではない。


日本人には、この決別が


ドライに感じられるかもしれないが、


いろんなしがらみから


自由になるためにも、


大切だと思う。




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Posted by パスター・レイ at 10:32│Comments(0)コラム
 
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