2007年09月22日
愛は一方通行では成立しない
イスラエルの写真
地中海が見えます。
先ほど、一人の婦人から電話があって、
話があると教会に来ました。
うちの教会の婦人たちが、いろいろ世話をした人です。
毎週、会って食事したり、ドーナツ食べたり、祈り、励まし続けた。
その婦人が言うには、しばらくみんなに会いたくないと言う。
みんなには感謝している。
でも、親切にされればされるほど、苦しくなって、つらいんだそうだ。
彼女は昔から、そのようにして、親しくなると、自分から離れていく。
その繰り返し。
自分は価値がない、愛されるに値しないと思っている人は、
愛されれば愛されるほどつらくなる。
そして、自ら、関係を断っていく。
幼い頃、親に捨てられ孤児院で育ったマリリン・モンローは
こう言っています。
『いつも自分の心の奥には,あの孤児院で過ごしていた哀れな
娘時代の自分が巣食っていて,どんなに成功しても
その惨めな少女が私のほうをじっと見ている. 』
彼女はジョー・ディマジオという素晴らしい男性と結婚した。
彼は自分が死ぬその年まで、
マリリンの命日にかかさずお墓参りした人です。
こんなにマリリンを大切にし、愛した人。
でも、彼が愛すれば愛するほど、マリリンは
彼を悲しませることをする。
ある日、映画の撮影でマンホールから吹き上げる
風で、スカートを開いて、男性たちを喜ばせるマリリンを見て、
ディマジオは、マリリンと住む家を飛び出した。
愛は一方通行では成立しない。
愛を送る人がいるなら、それを受け取る人が必要。
無理やり、押し付けることなんかできない。
イエスもドアをノックして、その人がドアを開けるのを
待っている。
いつか、自己憐憫の殻から抜けて、
ドアを開ける日が来て欲しいです。
Posted by パスター・レイ at 20:34│Comments(2)
│コラム
この記事へのコメント
そのとおりですね。
人間はみんなコンプレックスを持っていると思いますが
「愛されてなかった」というのは、本当に辛い過去ですね。
その方はどう、答えていいかわからないのでしょうね。
良きサマリア人の話で、神様の心にかなう者は誰でしょう。
と娘と話したことがあります。
もちろん、良きサマリア人がそうですが、
助けられた人も、神様の心にかなう者なんだよ。
と娘に説明しました。
この人がいなかったら、愛を示すことが出来なかったからね。
人はだれでも、愛を行うときがあり、受けるときがあります。
この人は受けてばかりで自立できない・・・・っと思わずに
奉仕をする機械(イエス様に近づく機会)を与えてくれる大切な人。
と考えるようになれるよ。と話しました。
この人のために、出来ることはやりたい。と自然に思えるから
それを、受けることは神様にとって「良し」とされることだと思うのです。
人間はみんなコンプレックスを持っていると思いますが
「愛されてなかった」というのは、本当に辛い過去ですね。
その方はどう、答えていいかわからないのでしょうね。
良きサマリア人の話で、神様の心にかなう者は誰でしょう。
と娘と話したことがあります。
もちろん、良きサマリア人がそうですが、
助けられた人も、神様の心にかなう者なんだよ。
と娘に説明しました。
この人がいなかったら、愛を示すことが出来なかったからね。
人はだれでも、愛を行うときがあり、受けるときがあります。
この人は受けてばかりで自立できない・・・・っと思わずに
奉仕をする機械(イエス様に近づく機会)を与えてくれる大切な人。
と考えるようになれるよ。と話しました。
この人のために、出来ることはやりたい。と自然に思えるから
それを、受けることは神様にとって「良し」とされることだと思うのです。
Posted by 虹 at 2007年09月23日 04:38
虹さんへ
ボクはサマリヤ人がイエス様だと思っています。
ボクらは強盗に遭った人。
人生の旅路で、たびたび、傷ついて倒れる。
それを、イエス様に介抱してもらって、元気になる。
そして、また、旅を続ける。
これの繰り返しですね。
ボクはサマリヤ人がイエス様だと思っています。
ボクらは強盗に遭った人。
人生の旅路で、たびたび、傷ついて倒れる。
それを、イエス様に介抱してもらって、元気になる。
そして、また、旅を続ける。
これの繰り返しですね。
Posted by パスター・レイ
at 2007年10月02日 17:47
