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2007年04月18日

二頭は追えない



二頭は追えない




今朝はどしゃぶりの雨でしたね。



今年、一番降ったんじゃないかな?












そろそろ、ブログ更新しようと思って、その週、考えていたことを書こうとしたら、




ちょうど、同じテーマで、参考になる記事を見つけました。



昨日、ジョシーのブログ読んだら、共依存の母娘のことが記事にあった。



http://josie.livedoor.biz/archives/50871835.html




Yasuyoさんはお母さんに、子供(孫)のベビーシッター頼んだら、




ここぞとばかりに、いろいろ干渉してくるわけです。




そのことが、うざったいわけですが、お母さんとしては、孫の面倒をみている貸しがあって、




その分、元を取るために、干渉を親としての愛にすり替えて、自分の欲求不満を解消するわけです。




それに、Yasuyoさんは腹を立てているのですが、母に頼っている自分もいる。




共依存のジレンマに悩んでいる。






ある男性は、朝、仕事に出かける時、いつも、Yシャツ、スーツ、ネクタイを





奥さんが、自分でコーディネートしたものを、タンスの横においてある。




旦那はそれを見ていると、何か、自分の意見がなくて、




妻に支配されているという、男としての抵抗感が自分にあるのに気づく。




それで、ある時、奥さんに言った。




「たまには俺も、その日によって、つけたいネクタイがあるんだ。」




それを聞いた、奥さんは次の日、黙って、ネクタイを5,6本スーツのそばにおいた。




すると、どれにするか、選べずに、困ったって言うんだね。




子供たちにも、聞いてみるが、「この色がいい」「いや、これがいい」





みんな意見が違うわけ。




結局、毎日、こんな調子で、困り果ててしまったそうです。





人に依存すると、面倒みてもらえるし、楽でいい。




しかし、ストーカーのように、心に土足で入ってこられる。干渉される。





誰にも干渉されず、自分の意思で選択できたら、何からも束縛されず、心は自由になる。




しかし、選択には責任と自立がともなう。





依存して、干渉に耐えるか?それとも、依存を離れ、自分の意思で責任ある選択をするか?




そういうことに最後はなってしまいますか。


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Posted by パスター・レイ at 12:05│Comments(6)コラム
この記事へのコメント
誰かに依存していると、ほんとある意味で楽なんですよね。でも、心に自由がないし、自分が無い。

自分を生きること、自分の責任で選択して行動する時はリスクを伴いますよね。でも、結果がどうであれ「自分の意思でやった。」という満足感がある。

何にも縛られずに自由ある心で生きたいです。^^
Posted by とも at 2007年04月18日 12:28
私の父親も子供を支配する人でした。
「親だからあたりまえだろ!」「親の言う事を聞いていれば間違いない!」と頭ごなしに圧力をかけ、思い通りにならないと爆発し暴れまくりました。
とても暴力的な人で警察を呼ぼうとしたことさえあります。
私は、そんな父親を憎みました。もう我慢の限界でした。
父親の声がしただけで身震いするし、父親の車の音さえも嫌でした。
こんな親を尊敬出来る訳がない。と思いながらも、でも、やっぱり自分の父親を憎んでいる自分自身が一番嫌でした。
このまま一緒に居ても悪循環なので、父親と離れることを決意し家をでました。24才の時家を出て、ここ2~3年で関係が修復しつつあります。
親も歳を取って少し角が取れ、私も結婚し子供ができて親を理解できるようになったので歩み寄ることができますが、父親の本質は何も変わらないので、一緒に居ると嫌な気持ちになります。
私が独身の頃は、私自身の意思で人生を送っていることを親は「自分勝手。我がまま」と言って私を責めました。
でも、結婚して愛知の家族と仲良くやっている姿を見たら「あんたは、沖縄から出る人だったんだね。幸せそうで安心したよ。」と言ってます。
お姑さんの事は、本当に大好きで仲良くさせて頂いてるので、私とは、ケンカ口調でしか話したことがない親にとっては不思議に写ったのかもしれません。(Minnieって笑うんだ・・・。こんなに優しく話すんだ・・・。と思ったようです。)だから、自由に生きるって、大切だと私は思います。
Posted by Minnie at 2007年04月18日 14:19
ともちゃんへ>>

自分で選んだことは、失敗しても、誰の責任にもできないし、
自己責任だから、重みが違うよね。
でも、自分で選択できたら、ミスがあっても、心は晴れ晴れしているもんなんだよね。
ともちゃんも、その体験しているから、うれしいっす。
話、変りますが、
今度、あのキノコの味や食感を、リポートしてください。
どんな味するんだろう?ってちょっと思いました。






Minnieさんへ>>


自分の決断で、今の場所で人間関係築いて、結婚ができたんだから、
Minnie さんはすごいと思う。
自分で選んだ人生だということで、自信が持てたんじゃない?
でも、車のエンジンの音まで、嫌いになるって、相当だね。
ボクも娘、大切にしないといけんと思いました。
たまに、アイス買って来て、媚売ってますよ。
いろいろ父娘関係でアドバイスください。

今、沖縄はシーミーでさ、知り合いのご婦人が、
体調不良で、シーミー行けなかったんですね。
そうすると、姑から電話があって、
「あんなみたいな非常識な嫁はどこにもいない」
って、さんざん、責められて、死にそうになっているわけ。
自分は関係ないんだけど
こんな血縁だったら、いらんと思って、ホント、腹立った。
Posted by パスターレイ at 2007年04月18日 19:13
レイ師へ

知り合いのご婦人、責められてかわいそうですね。
何を基準に「非常識」って言うんでしょうね?
体調が悪い人に「無理してでも来い」と言う方がよっぽど非常識だと思いますが・・・このお姑さんも、きっと自分の人生じゃない生き方をしてきたのでしょうね。ある意味、かわいそうです。

私と父親が話しができるようになったのは、亡くなった娘のおかげなんです。
それまでは、お互いが意地はって連絡取ってなかったけど、葬儀するために連絡したことがキッカケになったと言っても過言じゃありません。
だから、いつも思うのは私と父親の仲を取り持つ為に神様が娘を使わしたんだと言うことです。
娘の事では、不思議なことだらけなので。天使だったと信じています。
なので、娘の死を無駄にしない為にもというか、この世に使わされた娘の使命を私が果たさないでどうする?って思うと父親との関係を修復しようと思えました。神様の業はすごいです。^^

それに、父親にも心の傷があったのだと今は思えます。

レイ師は、良い親子関係が築けますよ!
家は、本当にダメ親でしたからそうなっただけで。
愛があるレイ師なら大丈夫です!
Posted by Minnie at 2007年04月19日 01:24
レイ先生久しぶりです。 結婚してアメリカに来てからもう10年になります。おぼえてるかなあ。。。 昔はいろいろ祈っていただいてお世話になりました。お蔭様で 今は3人の子持ちで幸せにやってます。 レイ先生今でも沖縄で神様のために働いておられるんですねー。本当にご苦労様です。頭がさがります。 お体を大切にして 元気でがんばってください。
Posted by 明美 at 2007年04月19日 11:57
Minnie さんへ>>

これから、Minnie さんのことを子育ての師と呼ばせていただきます。
家では「トド」と言われて、やがて、濡れ落ち葉になりそうで、
しっかりしないといけないなと、思うとります。

明美さんへ>>

明美さんって、あーけーですか?
だったら、びっくりですよ。
まあ、詳しい話は、今度、メールでやりましょうよ。
子供たち、会ってみたいですね。
Posted by パスターレイ at 2007年04月19日 19:48
 
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