ポエム「フットプリンツ」は聖書的か?
クリスチャンの間で有名なポエムである「フットプリンツ」。
イエス様と私で二人で歩いた砂浜。
二人分の足跡がついている。
しかし、途中で一人分になっている。
その道のりは自分が一番、苦しく、辛かった頃。
あの時、あなたはどこに行っていたのですか?
私をひとりぼっちにしていたのですか?ひどいです。
イエス様は答えられた。
「いや、違うんだよ。
あなたはあの時、自分で歩くことができなかったので、
私が背負って歩いていたのだ。
あれは私の足跡なんだよ。」
とても感動的な詩ですよね。
ところでこれは聖書的でしょうか?
私たちの人生は順調な時は自分で歩いて、
困った時だけ、イエス様がオンブしてくれる。
これが私たちの信仰生活だと思いますか?
イザヤ46章4節にはこう書いてあります。
「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。」
神様はあなたの人生の初めっから、ずっと背負って来たとおっしゃっている。
そして、これからもあなたが年老いて白髪になっても同じように背負うと約束している。
あなたの人生で自分の足で立って、歩いた道のりはない。
そう思えただけで、実はずっと主があなたを背負っていた。
もし、主があなたを助けなかったら、
あなたは1メートルさえも前に進めなかったはずです。
私たちが順調と思える時も困難な時も、
変わらずにずっと主が背負っている。
私たち人間は痛んだ葦なのです。
葦は何かが少し触れるだけで、折れてしまうような本当に弱い植物です。
神の守りがなけれが一瞬たりとも存在しないようなものです。
これが聖書の教えるところです。
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