愛のことば

パスター・レイ

2011年11月11日 08:30




最近、O先生という人を講師に呼んでセミナーをしたのですが、

せっかくの沖縄ということで、奥様と息子二人の4人家族で来沖された。

人間関係に関して話してもらったのだが、

やはり、中心は夫婦関係と子育て。

O先生と奥様が交互に話をされるのだが、

後ろで聞いている息子たちがとても穏やかで、仲が良くて

素直な子なんですね。

息子たちが小さい頃、

朝、起床時間を過ぎても起きて来ない。

それでお母さんが「起きる時間ですよ」

息子は寝返りを打って起きようとしない。

普通のお母さんなら

「遅刻するわよ。」・・・・

「もう知らないわよ」

とか怒りモードになる。

そんな時、そのお母さんは息子の耳元で

「○○は私の大切な子。チュチュ 大好き」

とかささやいて抱きしめるそうです。

そしたら、むずがゆくなって息子は起きて来る。

その時に少し顔に笑みが含まれている。

次男は字があまり上手じゃなかったようです。

息子の友達が家に遊びに来た時、

「おばさん、○○の字、汚くて何かいているのかわかんないよー」

と言ったそうです。

「あらそうかしら、私はそうは思わないけどな。もし、上手な方でないなら、

きっと、これから上達して誰よりも上手になると私は信じているわー」

こういった調子でいっさい批判めいた言葉を語らなかったそうだ。

その愛の言葉を浴びるように受けた子供たちはとても素敵に育っている。

私の家庭は物が飛び交う家庭であった。

お互いに責め合い、なじり合って、罵声が飛んだ。

まあよくこんな荒んだ家で育ったものだと思う。

クリスチャンになったとはいえ、まだまだ神様の恵みに満ちた関係とは言えない。

私たちはあまりにもネガティブで人を引き下げる言葉に満ちた家庭に育ったので、

愛の言葉を贈られると、心が不況和音を起こすと言うか、素直に受け取れない。

テレビでさんまさんが、きれいな女性タレントを「きれいですね」

と褒めそやした時、

その女性が素直に「ありがとうございます」とか言うと、

「否定せえよー」とさんまさんが落とす。

愛の言葉はスーっと受け止めることが難しいのだ。

何か照れくさくて、悪びれてしまう。

私たちは誰かをほめると、「また、お世辞言って」

とか、「心にもない事を」また、「お金もっていないよー」

内心、嬉しいのに素直に受け止められないのです。

私たちは心底、誰かに愛されたい、自分を受け止められたいと強く願うのに、

じっさいにそのような愛の言葉が自分に贈られると、

想定外なので、それに反発してしまう。

違和感を持ってしまうのです.

小さい頃から、自分が貶められる言葉ばかり聞かされているので、

ある意味、それが普通になって、自然で、スーッと来るのです。

ある芸人が世界で一番おいしいのは「キムチのキューちゃん」と言っていた。

添加物やジャンクフードばかり食べて、それに慣らされていると、

本物の味が美味いと思わなくなってしまう。

人を引き下げる言葉に慣れると、

愛の言葉の麗しさがわからない。

こんな愛の世界があるのかと信じられなくなってしまう。

ネガティブな言葉に慣らされて今の自分になっているわけだから、

逆に愛の言葉を浴びるように受け続けるなら、

それがスーっと心に入るようなるだろう。

バイブルは神のラブレター。

神の愛のメッセージを浴びるように受けるなら、

私たちの心も愛が染みて来て、私たちの口からも愛が発せられるようになる。
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