言葉の力
『「言霊の国」解体新書』 井沢元彦
病院に行くと4(死)と9(苦)の数字の部屋がなかったり、
日本には不吉なことを連想させる言葉は避ける。
逆に、祝いの席にはめでたいということで「鯛」のお頭を出す。
これは、言葉には力があり、それを発したり、文字にすると、
実現してしまうという信仰が日本にはあるのだと井沢氏は言う。
戦時中に、知識人の中にはどう転んでも戦況は不利で、
日本はこのままでは負けると予想しても、それを言葉にしてしまうと、
敗戦に至った時の責任を取らされてしまうような空気があったんだとか。
井沢氏はそのような言霊信仰を馬鹿げた事だとしているが、
実は、バイブルに日本の言霊信仰に似たような教えがあることはある。
『
人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、
そのくちびるによる収穫に満たされる。
死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、
人はその実を食べる。』箴言18章21,22節。
しかし、別のところでジーザスがこうも言っている。
『外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。
人から出て来るものが、人を汚すものなのです。』マルコ7章15節。
言語という音声に力があると言うより、
その人の内側にある、考え、心のあり方が、言語化されると言う事。
ボクらの心はテープレコーダーのようで、普段、触れて、黙想するものが
溜め込まれて、言葉となって再生される。
戦時中のように、否定的で不吉を匂わすからと言葉狩りをしても意味がない。
心のあり方を変えないと。
ワイドショーや週刊誌的なゴシップや噂話に興味をもって、
そんな話題に時間を費やしたら、その人の心にそのようなものが蓄えられるだろう。
良いものを普段から心に取り込む。
すると、自然と豊かさを創造する言葉が内側から湧き出てくる。
パウロの言葉を紹介します。
『最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、
すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、
すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、
称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。』ピリピ4章8節。
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