『
サーバントリーダシップ論』
アメリカでは80年代から注目されていたリーダーシップ論。
最近、日本でも注目されて、ちまたでその関連の本を見かける。
この本は、一番、読みやすいかな。
ロバート・K・グリーンリーフという人の本が元である。
経済学者のマックス・ウェーバーが人を導くリーダーシップには
いろいろあると言っている。
今、思い出すものの1つは
、「恐怖を与えて従わせる」
お母さんの「言うこと聞かないと押入れに入れるわよ」から始まり、
会社でもさまざまなプレッシャーを与える、いわゆるパワハラですね。
たとえるなら、スズメの学校ですよ。
「ムチをふりふり、チーパッパ」
このリーダーシップははじめは良いが、後で大きなツケを払うことになる。
2つめは
、「報酬を与えて従わせる」
給料を増やすとか、地位を上げるとか、つまり、鼻からニンジン作戦ですね。
これも、どこか限界がある。
3つめは
、「カリスマで従わせる」
ウェーバーによって、このカリスマという言葉が流行したが、
もともと、恵みとかギフトというギリシャ語なんですが、
もって生まれた特別な才能と言ったらいいですかね。
特別どうこう言わなくても、この人のカリスマで従わせる。
つるの一声ってあるね。そんな従わないといけないような、スケールの大きさの人物ね。
日本の大企業の創業者はみんな、このカリスマがあって、
その人のもとで、一致団結したわけだ。
しかし、このカリスマにも問題がある。
その人が死んだ後、その会社、その団体はどうなるの?っていうこと。
そして、今、ボクが注目しているのが
、「サーバントリーダーシップ」
「サーバント」執事、給仕する、しもべ、みたいな意味かな。
著者の高橋さんが、このリーダーシップを簡単に表現しているけど、
「自分の部下に送りバントができる人」
送りバントというのは、チームを生かすために、自分は犠牲になるわけだ。
自分に死ぬって言ったらいいかな。
そして、他の選手がヒット打ったり、ホームランを打つのを喜ぶ。
自分がヒーローインタビューのお立ち台に立たなくても、部下の活躍で満足できる人。
さらにたとえるなら、メダカの学校
「だれが生徒か、先生か」
リーダーが死んでいるから、目立たない。
実は、このことを身をもって教えたのがジーザスだ。
その当時、中東の砂ぼこりで、外を歩いたら、足がかなり汚れる。
家に入る前に、足を洗う必要がある。
足を洗うのは、当時、奴隷の仕事であった。
ジーザスは、手ぬぐいをもって、自ら率先して、弟子たちの汚い足を洗った。
そして、弟子たちに要求したのはただ1つ。
「私が愛したように、あなたがたも愛しなさい」
そう、自分がしたことを見せて、それを実践させる。
一緒に汗を流して、一緒に泣いて、寝食をともにして、愛することを教えた。
この生き方こそ「サーバントリーダシップ」
今の時代はカリスマを求めるだろう。
しかし、本当に必要なのは、人のために犠牲バントが出来る人です。