決別

パスター・レイ

2008年02月23日 10:32






豊崎の方で、ランチしました。


そこの海に面する公園です。





最近、亡くなった河合隼雄氏は、


人が自分の自我の成長とともに、


今までの関係から、新しい領域に入るために、


決別の時があると言っています。


思春期の少年が、


自我が芽生え、


親に反抗することによって、


自立に向かうプロセスですね。


この決別の体験が自分にもあった気がします。


16年前、今のワイフと婚約した時、


実家に初めて連れてきた。


その時、式のこと、住居のことなど、


穏やかな談笑があった。


その時、何の前触れもなく、(本当に自分に意図はなかった)


自分の口から、父親に対して、


幼少期から、さかのぼって、


父親に苦しめられたこと、


どんなに悩んできたかを、


機関銃のように、すごいスピードで、


訴えているわけ。


涙も流れている。


ここで、父親が謝り、


お互いに抱きしめ合えば、


感動のシーンになるのだろうが、


人間は責められると、謝らない。


自己防衛に入る。


今度は、父親が怒り出す。


こんな席でなんと言うことを言うんだ。


お前は頭がおかしい。


悪口雑言を言い返される。


でも、すべてをぶちまけたボクは、


とても、気分爽快で、父親に対して、


何か、今までこだわっていたものが、なくなって


反撃する気にもなれなかった。


今考えれば、これは、親との決別だったと思う。


もちろん、親と勘当したわけでもなく、


喧嘩別れしたのでもない。


今まで、親に愛されたい、受け入れられたい


という、期待を捨てて、


親と決別して、結婚して、新しい


家族を築いて行く。


古い家族に対するこだわりを新しい家族に持ち込まない。


そんな、象徴的な出来事でした。


孤立と自立は違う。


親との関係から自立して、


対等な関係でかかわっていく。


そんなふっきれたところから、


本当の意味で、親を愛せるし、


助けたり、助けられたりするんだと思う。



決別がないと、それは依存関係だし、


そこに存在するのは、慣れ合いであり、


自分のために相手を利用することだから、


それは愛ではない。


日本人には、この決別が


ドライに感じられるかもしれないが、


いろんなしがらみから


自由になるためにも、


大切だと思う。



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