決別
豊崎の方で、ランチしました。
そこの海に面する公園です。
最近、亡くなった河合隼雄氏は、
人が自分の自我の成長とともに、
今までの関係から、新しい領域に入るために、
決別の時があると言っています。
思春期の少年が、
自我が芽生え、
親に反抗することによって、
自立に向かうプロセスですね。
この決別の体験が自分にもあった気がします。
16年前、今のワイフと婚約した時、
実家に初めて連れてきた。
その時、式のこと、住居のことなど、
穏やかな談笑があった。
その時、何の前触れもなく、(本当に自分に意図はなかった)
自分の口から、父親に対して、
幼少期から、さかのぼって、
父親に苦しめられたこと、
どんなに悩んできたかを、
機関銃のように、すごいスピードで、
訴えているわけ。
涙も流れている。
ここで、父親が謝り、
お互いに抱きしめ合えば、
感動のシーンになるのだろうが、
人間は責められると、謝らない。
自己防衛に入る。
今度は、父親が怒り出す。
こんな席でなんと言うことを言うんだ。
お前は頭がおかしい。
悪口雑言を言い返される。
でも、すべてをぶちまけたボクは、
とても、気分爽快で、父親に対して、
何か、今までこだわっていたものが、なくなって
反撃する気にもなれなかった。
今考えれば、これは、親との決別だったと思う。
もちろん、親と勘当したわけでもなく、
喧嘩別れしたのでもない。
今まで、親に愛されたい、受け入れられたい
という、期待を捨てて、
親と決別して、結婚して、新しい
家族を築いて行く。
古い家族に対するこだわりを新しい家族に持ち込まない。
そんな、象徴的な出来事でした。
孤立と自立は違う。
親との関係から自立して、
対等な関係でかかわっていく。
そんなふっきれたところから、
本当の意味で、親を愛せるし、
助けたり、助けられたりするんだと思う。
決別がないと、それは依存関係だし、
そこに存在するのは、慣れ合いであり、
自分のために相手を利用することだから、
それは愛ではない。
日本人には、この決別が
ドライに感じられるかもしれないが、
いろんなしがらみから
自由になるためにも、
大切だと思う。
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