満足

パスター・レイ

2007年08月11日 23:22




おととい行った、豊崎の海です。


こんなに天気良かったのにね。


ドジャースの斉藤投手がチームメイトと


ショッピングに行った話しをしていた。


高級ブティックに入ると、彼は適当に


服を選び、かごに入れる。


そして、それを店員が袋につめると


「また、お越しください」


と笑顔で送り出す。


彼は清算をしないで、店を出た。


つまり、金を払わない。


メジャーリーガーの一流選手はみんな、


そういう待遇だそうだ。


店としては、有名人が来ると、ステータスになり、


客を惹きつけるわけね。


だから、ただであげても、おつりがくるぐらいなもんです。


この話を聞いた時、


ある聖書の言葉が浮かぶ。


「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、


持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。」


一流選手は高級品を買いあさったって、


へでもない。


大金を持っている。


なのに、ただでもらって、ますます豊かになる。


ボクのような貧乏人は、


ケチケチ使って、それでも


貯まらないし、増えない。


これは心も一緒だね。


いつでも喜んでいる人、


満足している人、


そういう人はさらに豊かになる。


でも、


劣等感、不足感、


満足感がない人は


かえって何かを失う。


以前、介護のアルバイトをして後、


スクールバスの運転手に切り替えたことが


あります。


バスの運転手は、きついよ。


と、学校関係者に言われていたが、


実際、やってみると、天国とは


言わないけど、とても楽で、嬉しかった。


なぜかと言うと、


介護でも送迎をしたんですが、


相手が障害をもったお年寄りでしょ。


家に送り迎えする時、


手を引いたり、


靴や上着を脱がせたり、


車椅子の人は、


担いで、ベッドまで。


とにかく、きつかった。


でも、スクールバスでは


停車すると、勝手にみんな乗車してくれる。


ほんと、楽チンなんだ。


もし、介護の経験をしてなかったら、


感謝なんかできなかっただろう。


パウロは「満ちたりることを学んだ」


って言っているけど、


いろんなことを経験して、満足することを


学ぶ必要があるだろうね。


ボクが小学校ぐらいに


「飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ」


という映画があった。


井村という医者が癌になって、


自分の命が風前の灯と成った時に、書いた詩があります。


「当たり前」という詩です。


「当たり前」
こんな素晴らしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう。
当たり前であることを。
お父さんが居る。お母さんが居る。
手が2本あって、足が2本ある。
行きたいところへ自分で歩いてゆける。
手を伸ばせば何でも取れる。
音が聞こえて、声が出る。
こんな幸せはあるでしょうか。
しかし、誰もそれを喜ばない。
「当たり前だ」と、笑って済ます。

食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れる。
そして、また朝が来る。
空気を胸いっぱいに吸える。
笑える。泣ける。叫ぶことが出来る。走り回れる。
みんな、当たり前のこと。

こんな素晴らしいことを、みんなは決して喜ばない。
そのありがたさを知っているのは、
それは、無くした人たちだけ。なぜでしょう。
「当たり前……」



満足することを学ぶことが、


ボクにはもっともっと必要な気がする。

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