ユダヤ人の知恵の書「タルムード」にこんな話がある。
ある若夫婦に子供が産まれた。
しかし、驚いたことに、頭は二つで、体は一つで産まれてきた。
そして、しばらくして、一つの議論が起こった。
さて、この赤ちゃんは、一人か?、それとも二人か?
ある者は一人と言い、ある者は、いや、二人だと言う。
それで、ユダヤで一番有名なラビ(教師)を呼んできた。
そして、尋ねた。「この赤ちゃんは一人ですか?それとも二人でしょうか?」
ラビは持っていた杖で、二つの頭のうちの一つを「コツンッ」とたたいた。
すると、そのたたかれた頭は泣いた。しかし、もう一つの頭は笑っていた。
「これは二人だ」 と言って、帰っていった。
今日も、二件の結婚式を終えて来ました。
式文の中に「男はその父と母を離れて、妻と結ばれ一体となる」
これは、バイブルでは奥義だと言われている。
生物学的には二人だけど、夫婦はそれでも一体(一人)なんだと。
さっきのタルムードの話だと、一方が頭を叩かれて痛いのに、一方はその痛みを感じないで、笑っている。
これは、一体じゃない。
一体というのは、一方が痛みをもっているなら、その痛みが自分の痛みになるということ。
妻が苦しんでいるのに、夫がそれを理解できないなら、それは一体じゃない。
親子もそう。
共感できる人は、その人と一体になることができる。
痛みを持った人に、一緒に泣いてくれる人がいたら、その人は慰められ、いやされる。
孤独な現代で、共感してくれる人がいたら、どんなに生きやすいだろうね。
これ、難しいよ。
だいたい、人間は理解するより、理解してほしいと自分のことを優先するからね。
ボクの人生の宿題は、多くの人と一体となることです。