一体の奥義

パスター・レイ

2007年07月14日 21:57



子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方





娘も思春期になり、どう接していいか、悩むこのごろで、


児童教育専門の友人に、勧められて、買いました。











ユダヤ人の知恵の書「タルムード」にこんな話がある。



ある若夫婦に子供が産まれた。



しかし、驚いたことに、頭は二つで、体は一つで産まれてきた。



そして、しばらくして、一つの議論が起こった。



さて、この赤ちゃんは、一人か?、それとも二人か?



ある者は一人と言い、ある者は、いや、二人だと言う。



それで、ユダヤで一番有名なラビ(教師)を呼んできた。



そして、尋ねた。「この赤ちゃんは一人ですか?それとも二人でしょうか?」



ラビは持っていた杖で、二つの頭のうちの一つを「コツンッ」とたたいた。



すると、そのたたかれた頭は泣いた。しかし、もう一つの頭は笑っていた。



「これは二人だ」 と言って、帰っていった。







今日も、二件の結婚式を終えて来ました。



式文の中に「男はその父と母を離れて、妻と結ばれ一体となる」



これは、バイブルでは奥義だと言われている。



生物学的には二人だけど、夫婦はそれでも一体(一人)なんだと。



さっきのタルムードの話だと、一方が頭を叩かれて痛いのに、一方はその痛みを感じないで、笑っている。



これは、一体じゃない。



一体というのは、一方が痛みをもっているなら、その痛みが自分の痛みになるということ。



妻が苦しんでいるのに、夫がそれを理解できないなら、それは一体じゃない。



親子もそう。



共感できる人は、その人と一体になることができる。



痛みを持った人に、一緒に泣いてくれる人がいたら、その人は慰められ、いやされる。



孤独な現代で、共感してくれる人がいたら、どんなに生きやすいだろうね。



これ、難しいよ。



だいたい、人間は理解するより、理解してほしいと自分のことを優先するからね。



ボクの人生の宿題は、多くの人と一体となることです。
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