コメントの中で、アメリカなんかでは、レストランでの食事が選択の幅が広い。
ということを言っている方がいました。
これは、ボクもそう感じました。
バイキングならともかく、ホテルなどでの朝食で、西洋では、卵はスクランブルにするか、目玉焼きに
するか、ジュースならオレンジとかアップルとか、ベーコンもどう焼くんだ。サラダのドレッシングはどう
なんだ。。。。
えっえい。いちいち尋ねるな。適当に持ってこい!
って最後はなりません?
日本の旅館なんて、いちいち選択はない。
ネギと納豆があり、冷奴、生卵、のり、おしんこ、焼鮭、ごはん、みそしる。
だいたいこんな感じ。1つぐらい、にがてがあっても、だいたい、日本人の好みを網羅している。
1つ1つ、選択するより、大体、日本人平均を網羅したメニューを出された方が、安心する。
カルフォルニアのある大学で、日本企業の研修があったそうだ。
その時の、不思議な経験として、日本人を教えたアメリカ人の教授が言っている。
講義中に、教授が暑くなったので、スーツの上着を脱いだら、講義を受けている日本人も、次々に脱
ぎ出した。のどが渇いたので、飲み物を飲んだら、日本人も、それぞれ取り出して、飲みだした。
昼休みに、みんなで、レストランに行って、教授がメニューから選んだら、日本人もみんな、
同じものを注文した。
治める支配者側からしたら、このような忠実な人たちは、治めやすいだろう。
日本人は、誰か強い人に自分の身を委ねて、思考停止になることを望んでいるのかも。
だって、楽だもん。人と合わせて、上が決めたことを、行い、責任もとらないですむ。
バイブルで、イスラエルの民がエジプトで奴隷に400年なっていた。
それを、モーセが助けてあげた。しかし、自由の道は険しかった。
荒野をさ迷った。
すると、イスラエルの元奴隷たちは言った。「エジプトには肉もあった。ああ。帰りたい」
奴隷はつらかったけど、それなりに快適だった。何も考えずにすんだし、上が命じることをやれば、
生活には困らなかった。しかし、自由になると、自分でどうするか選ばないといけない。
選択を間違ったら、自分で責任負わされる。これしんどい。
ボクたちは奴隷と自由の岐路に立つ。
チャレンジのない、退屈だけど、波風も立たない平和、挫折もない、人に面倒見てもらえる奴隷。
責任がともなうし、失敗や挫折というリスクがあり、人とぶつかる、葛藤がある。しかし、誰にも支配され
ない自由。
あなたならどっち。(料理番組みたい)