和解

パスター・レイ

2006年09月27日 01:36





ボクの知人のお父さんが、病状が悪化した。自分が死ぬ前に、自分の友人を呼んでほしいと、

息子に頼んだ。

その友人とは、かつて、いろいろあって、お父さんが傷つけた人らしい。

それで、お父さんは、悔いが残らないように、その友人に謝り、ゆるしを求めた。


結局、その友人は納得がいかなくて、赦さなかったようだ。

そのお父さんは、心残りをもったまま、亡くなった。


ヘミングウェイの短編小説に「世界の首都」中でスペイン・マドリッドの父親と息子パコの物語がある。

ある日、息子パコが家出をしてしまう。

心配した父親は息子を探しに長い旅に出る。しかし、息子パコを探すことがなかなか出来ない。

困り果てた父親は最後の手段で地元マドリッドの新聞に広告を出す。

『愛するパコよ。明日の正午、新聞社の前で会おう。すべて赦す。お前を愛する父より。』

翌朝、新聞社の前で待っていた父親が見たものは、800人のパコという男性ばかりであった。



壊れた親子関係を取り戻すためにマドリッドに800人のパコという人物がいたのである。


ボクらは、人間関係、とくに近い関係の中で傷ついている。

そのままでいいと思っていないけど、なかなか謝ることは難しい。


ボクも数年前、実家に帰った時に、思うところがあって、

父に「お父さん。今まで、反抗ばかりしてすまん。赦してください。」

ちょっと、照れくさかったけど謝った。

「いや、俺の方こそ、ひどいことをした。」

握手して、和解ができた。大人になって、実家を出た後は、普通につきあっていたけど、

中学、高校とお互いに罵り合い、ある時は殴り合いもやってた。

一度、実家を出たら、そのような過去がなかったかのように、普通に振舞っていた。

しかし、何か、心の中につっかえたものがあったのも確か。

それで、思いきって昔のことを話した。

自分から進んで、親に謝ったのは、この1度だけ。

もう一回やれ、と言われても難しい。


父の性格は昔とあまり変わらないので、正直、今でも腹立つことはある。

でも、冷静に見られるというか。

それは、和解できたからかなと思っている。

水に流すというのではなくて、その過去のことを話し、それについて謝って、けりをつけた。

それが、良かったと思う。


不思議だ。

傷つけるのも人間。いやすのも人間。

ボクらは人間関係から離れることはできない。

それなら、うまくやっていくほうがいい。

もし、ぶつかっても、和解できたら、どんなにいいだろう。
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