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2012年01月02日

幻肢痛と暗愁

幻肢痛と暗愁

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19章10節

「幻肢痛(げんしつう)」という痛みがある。

事故や病気で腕や足を失った人が、

ないはずの腕、足に痛みを感じる現象です。

この痛みがやっかいなのは、

激しく痛みが襲っても、じっさいはその腕、足がないわけですから、

さすってあげることもできないし、鎮痛剤も効かない。

しかし、じっさいに痛みを感じるわけです。

痛みの原因は未だにわかっていないそうだ。

失ったはずの部分を脳が記憶していて、神経がつながっているのか?

私たちの魂にもこの「幻肢痛」に似た症状があるのではないか。

以前、「暗愁(あんしゅう)」と言う事を書いた。

明治の文豪が好んで引用する言葉。

理由なき虚無、心の底に潜んでいる闇。

ボクらは心の痛みの原因をいろいろ探る。

親に愛されなかった、いじめにあった、挫折を経験した。

これらによって傷つき、心のダメージを受けることが

原因に思うのですが、これらを解決したとしても、

心の虚しさはなくならない。

誰でも心の闇を抱えている。

これは本来、人間に与えられたものを失った悲しみです。

人間は神とつながって生きることで幸福となりえた。

人間は愛し、愛される存在であった。

そして、死もない、永遠の生きる存在が人間のあり方であった。

しかし、アダム以来の罪によって、

神とのつながりが切れてしまった。

そこから、いのちが途切れて、

砂漠のような世界でサバイバルしなくてはならない。

人よりも自分、神よりも自己実現、愛よりも欲。

ボクが6歳の時に父からの祖父がなくなって、

初めて人間の亡骸を見た。

それ以来、多くの人が老いて死んで行くので

死ぬのが当たり前だと思うようになった。

しかし、これは本来の人間の姿ではない。

「人間だもの」といい詩がありますが、

悲しくても、怒っても、嫉妬しても、

「人間だもの」と言えば納得するのか?

人間の魂は納得しないのだ。

ボクらの魂は知っている。

これは本来の人間の姿ではない。

神の創造した目的ではない。

人間は失われたものになっている。

その神から離れ、永遠のいのちを失った悲しみが

暗愁なのです。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

一度、失って取り返すことのできないいのちを

イエスは回復させて下さる。




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Posted by パスター・レイ at 10:47│Comments(0)バイブル
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