2009年09月27日
裁いてはいけない裁かれないために
「さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」
マタイ7章1~2節
アブラハム・リンカーンはアメリカ歴代大統領で
最も尊敬される人物と言われていますが、
若い時は、かなり人格に問題があったとようです。
ある日、リンカーンは匿名でジェイムズ・シールズという政治家を
新聞で酷評して、恥をかかせました。
怒ったシールズはその中傷がリンカーンであることをつきとめ、
リンカーンに決闘を申し込みました。
侮辱されたシールズにリンカーンは剣を渡されて、戦うはめになりました。
直前のところで、民主党の役員がなだめてなんとか事なきを得たわけですが、
その苦い経験から、
リンカーンは人を中傷して、裁いてはいけないことを学びました。
人を裁くことは、たとえそれが正しくても、
人を生かすことはない。
いのちを生みだすことはない。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」
マタイ7章1~2節
アブラハム・リンカーンはアメリカ歴代大統領で
最も尊敬される人物と言われていますが、
若い時は、かなり人格に問題があったとようです。
ある日、リンカーンは匿名でジェイムズ・シールズという政治家を
新聞で酷評して、恥をかかせました。
怒ったシールズはその中傷がリンカーンであることをつきとめ、
リンカーンに決闘を申し込みました。
侮辱されたシールズにリンカーンは剣を渡されて、戦うはめになりました。
直前のところで、民主党の役員がなだめてなんとか事なきを得たわけですが、
その苦い経験から、
リンカーンは人を中傷して、裁いてはいけないことを学びました。
人を裁くことは、たとえそれが正しくても、
人を生かすことはない。
いのちを生みだすことはない。
批判や叱責自体が悪いわけじゃない。
マタイ18章にもジーザスは、問題がある人がいれば、
2、3人の証人のもとで、その人を責めるように言っている。
また、パウロも福音の真理を間違って教える者は呪われよと
過激なことを言っている。
裁くことが許されないなら、裁判官も法律もいらなくなる。
そういうことではない。
ここで言う「裁くな」は人を罪に定めるなと言うこと。
同じアダムの罪を共有する者として、一段高い所から人を見るなと言うこと。
なぜ、裁いてはいけない?
それは、自分も裁かれないために。
韓国のノ・ムヒョン前大統領が自殺した衝撃は記憶に新しい。
現政権による不正追及が始まり、逮捕される可能性が高まって、
自殺するというショッキングな事件でした。
このノ・ムヒョンさんは、元々、弁護士だったのですが、
当時のキム・ヨンサム大統領にスカウトされて、政治家になった。
その頃、80年代の独裁政権チョンドファン大統領の不正追及が始まり、
不正追及委員会が結成されて、その委員長がノ・ムフョンさんでした。
テレビの証人喚問で、
チョンドファンや側近の不正を徹底的に追及して追い込んでいくその姿が、
まるで正義の味方。彼はお茶の間の人気者になって、
それで大統領になれたと言う。
その不正を追及した彼自身が、政権を降りると、自らが裁かれる立場になりました。
裁く者は自らも裁かれる。
ボクも十代の頃は父親を裁いた。
こんな大人になるもんかと。
しかし、時が流れて、その父親の性質をしっかり受け継いで、
今や、自分の子供に裁かれんとする(幸い娘はやさしくて耐えてくれている)。
その人に正すべき欠点があっても、
相手の立場に立って、その人が生きるように配慮したい。
バイブルではこれを「建て上げ」と言う。
ゴルフの皇帝と言われたジャック・ニクラウスは輝かしい栄光を手にした。
彼は家でクラブをもって、練習していると、
奥さんは、ニクラウスの右肩が下がって
ぎこちないスイングになっていることに気づく。
彼女は「右肩が下がってだめよ」とは言わない。
「あなたのスイング素敵。右肩を上げれば、もっと素敵」
ニクラウスはプロとしての誇りを傷つけられることなく、修正することができた。
そして、裁くことはクリスチャンとして霊的状態の危機であることだ。
ルカ9章52節から読むと、ジーザス伝道団が、サマリヤの町に入ろうとした。
すると、サマリヤの人たちは、その一団を拒絶した。
怒ったヨハネは雷の子らしく、激しく怒って
「あいつら、天から火を下して焼き滅ぼしてしまいやしょうぜ」
とか言って、激烈な裁きを下そうとした。
その時、ジーザスはヨハネを戒めたとある。
その55節の欄外注に
「あなたがたは自分たちがどんな霊的状態にあるかわかっていない」
と異本にあるとある。
人を裁きまくる時、その人の霊的状態は危機にあるのだ。
ボクらが人を裁きたくなる場合、だいたい、その相手が自分を不快にさせる時だ。
「あの人は自分に迷惑をかける、自分を不快にさせる、自分を困らせる」
つまり、人が自分に何をしてくれるかが関心の中心。
自分に良くしてくれない。それで怒って裁くわけです。
その人によって自分が引き下げられる。
自分が引き下げられると、その人をさらに引き下げる。
ずるずるとマイナスのスパイラルの中で、お互いに落ちていくわけです。
霊的な正しい視点を持っている人は、
自分は神様から祝福された存在なので、引き下げられないのだ。
自分を引き下げようとする人を、逆に引き上げてあげる。
自分の才能や資質を見るから、祝福できないと思う。
しかし、それは違う。ボクらは祝福された存在。
なぜなら、ボクらは現代の祭司なのだ。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、
王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」1ペテロ2章9節。
クリスチャンは無尽蔵の霊的祝福をすべて委ねられた存在(エペソ1:3)。
その祭司が祝福するなら、すべての者は祝福される(民数6:23~)。
人を引き下げるような人は自分に自信がなく、劣等感とネガティブで
消極的な人生を歩んでいるもの。そういう人は祝福してあげよう。
マーリン・キャロザースは奥さんと
毎週、アイスクリーム屋でアイスを食べて、談笑するのが楽しみだった。
ある日、大声を出して、迷惑をかける子供が入って来た。
その子のお母さんはまったく注意しなかった。
マーリンは腹が立って、「なんて、躾のない子供だ。親も親だ」と裁いていた。
不愉快な気分になって、
もうこんなところ出て行くぞと憤慨して去ろうとしたら、
神様がマーリンに「彼女たちを祝福しないのか?」
そう語りかけていた。
ボクらは知らず知らずのうちに、自分が世界の中心になって、
人は自分を幸せにするべきだ。と要求ばかりしている。
しかし、神はあなたが世界の人を幸せにしなさいと言っている。
マーリンは心を改め、彼女たちの祝福を祈った。
祝福する者は、さらに祝福される。
クリスチャンは
Posted by パスター・レイ at 08:18│Comments(0)
│バイブル