今日のバイボー(191)

パスター・レイ

2012年07月03日 06:12

「門の玄関の間には、全焼のいけにえ、罪のためのいけにえ、
罪過のためのいけにえをほふるために、
両側にそれぞれ二つずつの台があった。」エゼキエル40:39。


足の不自由なMさんのために、ある兄弟が教会まで、送迎をしてあげました。

初めMさんは、「いつもいつもすみませんね。ありがたいことです。」

と感謝していました。

それが毎回、続くと、それが当たり前のような感覚になって、

感謝の気持ちが薄らいでいました。

ある日、Mさんは、迎えに来るのが遅いと、

その兄弟に腹を立てるようになっていたのです。

私たちに注がれた驚くべき恵みも、

いつの間にか薄らいで、当たり前になるのです。

エゼキエルが見た神殿の幻は、

千年王国に建てられる新しい神殿のことです。

不思議なことに、いけにえをささげる祭壇があります。

イエス様が十字架で血を注がれたので、

必要ないのではないでしょうか?

確かに必要ありません。

では、なぜいけにえをささげるかと言うと、

それは十字架を覚えるためにです。

聖餐式も同じ理由です。

私たちは重要なことでも、簡単に忘れてしまうところがあります。

私たちの存在の中心は十字架です。

十字架を忘れないために、心に刻むために、

毎日、聖書を開くのです。

神様に向かって語りかけるのです。

あなたの心にいつも感謝とさんびがあるように。

関連記事