今日のバイボー(137)

パスター・レイ

2012年03月27日 09:02

「それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、
新しい秩序の立てられる時まで課せられた、
からだに関する規定にすぎないからです。」ヘブル9:10。

旧約時代の幕屋中心の信仰では、「からだに関する規定」でした。

つまり、外側の行いが強調され、

神様も外側の行為を見て、人に対処しました。

しかし、今、聖霊が私たちの心の板にみことばを刻みました。

それゆえ、もう外側ではなく、内側の信仰を見る時代になったのです。

つまり、心の動機です。

良い行いをクリスチャンが立派にしたとしても、

その良い行いを何のためにやっているのか問われます。

パリサイ人のように、人から評価されるために

やっている人もいるかもしれません。

自分の立派な行いで神様から祝福を受けたいと思う人、

自分に災いが起きないため恐れによって動いている人、

いろんな動機があります。

聖霊は人の心を見分けるのです。

どんなに表面的に敬虔で、良い人でも、

動機が悪ければ決して認められることはありません。

「主よ、主よ」と自分の行いを訴えるているのに、

いっさい、受け入れられていません。(マタイ7:21−23)

人間の心は陰険で治らない(エレミヤ17:9)とありますので、

自分の心を欺く人間には動機を見分けることはできないのです。

みことばの光によって自分の心を照らす者しか、

本当の自分に向き合うことはできません。

神様に喜ばれ、受け入れられる信仰は

正しい動機をもって仕える人だけなのです。

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