今日のバイボー(132)

パスター・レイ

2012年03月19日 07:03

「そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか」とその母親に言った。
すると母親は、「バプテスマのヨハネの首」と言った。
そこで少女はすぐに、大急ぎで王の前に行き、こう言って頼んだ。
「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を
盆に載せていただきとうございます。」マルコ6:24、25。


子供をわがままに育てるのも問題ですが、

その逆に「良い子」にしてしまうのも問題です。

それは親の願いや要求を直接的、間接的に子供に押し付けたり、

自立心を摘み取って、

自由意志を奪って行くプロセスで良い子になって行きます。

良い子なら、心も良いかと言えば、決してそうではありません。

自分の気持ちや意思を封じ込められているので、

ただ親の意向にイエスと言っている逆らえない心をもった子なだけです。

ヘロデの娘は欲しい物を願われた時、

自分で何を求めていいのかわからず、母親に聞きます。

「ヨハネの首」と言われるとその通りに言ったのです。

これだけ残酷なことをその通りにしてしまう娘は

どのような気持ちでそれを口にしたのでしょうか?

本人がそれを願っているかどうかは別にして、

この血の責任は誰にあるのでしょうか?

もちろん悪知恵を入れた母親の責任は重いです。

しかし、母親に依存して、母親のなすがままに生きた娘の責任もあるのです。

自由意志を与えて、ご自身に従うようにと言われる神様を

無視した責任を問われるのです。

私たちは神のみことばによって心を強めて行き、

その確信の下、自分の意思で人ではなく、

神に従って生きるのです。

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