今日のバイボー(102)
「また言われた。『安息日は人間のために設け られたのです。
人間が安息日のために造られたのではありません。
人の子は安息日にも主です。』」マルコ2:27、28。
昔,イスラエル人は奴隷としてこき使われました。
来る日も来る日も朝から晩まで働き通しで
まったく体を休めることがかないませんでした。
疲れているのに休むとエジプト人のムチ打たれたので、
働きずくめだったのです。
主なる神はそんな彼らを解放して、安息日を与えました。
週に一度は体を完全に休ますように。
安息日はイスラエル人が人間らしく生きるために造られた、
人間のためのものです。
私たちにとって安息は何でしょうか?
ダビデは主の下で憩うと言いました。
私たちは霊的な存在なので、神様に近づく時に魂が安らぎます。
信仰生活が疲れる場合、
そこには義務感、お務め意識があるからではないでしょうか。
幼子が父の懐に入って、ぐっすり休むように、
私たちも主にあって安息を得たいものです。
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