今日のバイボー(69)

パスター・レイ

2011年12月01日 07:03

「万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖がわたしを怒らせたとき、
わたしはあなたがたにわざわいを下そうと考えた。・・
万軍の主は仰せられる。・・そしてわたしは思い直さなかった。
しかし、このごろ、わたしはエルサレムとユダの家とに幸いを下そうと考えている。
恐れるな。』」ゼカリヤ8:15、16.


以前に、神の葛藤の話をしました。神は愛であり、私たちをどこまでも慈しまれる。

しかし、罪を見逃す事は決してなさらない。

この2つの性質の間で葛藤を覚えて苦しまれるのです。

イスラエルが罪を犯した時、それを罰せずにはいられませんでした。

しかし、彼らがバビロン捕囚という苦難を通ると、

残されたのは主の哀れみと慈しみです。

私たちはどこまでも罪深く、その罪は神を怒らせます。

しかし、その神の怒りと罰をイエス様の十字架で完了させました。

十字架で神の怒りが終わったのです。

そして、残されたのは、神の慈しみです。

十字架を受け入れた私たちに神の愛だけがあるのです。

怒りは微塵もないのです。

たとえ災いに見えることでも、

それは神の怒りや罰から来るものではなく、神の愛の懲らしめです。

私たちが真実に生きるように、訓練しておられるのです。

私たちの人生に今後、起こるすべてのことは

主にあって、幸いな計画です。エレミヤ29章11節。

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