今日のバイボー(18)

パスター・レイ

2011年08月23日 08:10

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであって、
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」Ⅱコリント4:7.


結婚式をすると、私に前もってケースに入った指輪を渡されます。

ケースを開いて中の指輪を見ると二人の結婚指輪が入っているわけです。

だいたい共通するのは、指輪が高価であればあるほど、

ケースも豪華なものであると言うことです。

高価な物にはそれに相当する入れ物を用意するものです。

聖霊は他に類を見ないほど高価で尊いお方です。

そのお方が何と卑しい私たちの体を住まいとされたのです。

もし、立派な人間に聖霊が住まわれたのなら、

その輝きが人からなのか、聖霊から放たれているのかわからないでしょう。

もし、あなたが立派なクリスチャンなら、

人々は神様ではなく、あなたに目を向けるでしょう。

しかし、取るに足りない弱い私たちを通して聖霊が輝くなら、

人は「神様っているんだね~」と神の御業を認めるようになります。

卑しい私と輝く聖霊、この落差が大切なのです。

多くのクリスチャンは一生懸命自分というケースを磨こうとします。

磨いても磨いても輝かないので落胆します。

土なんだから輝くはずないではないですか。

自分に望みをおくのをあきらめよう。

どうせ土なんのですから。

土を磨くのをやめて、内なる聖霊に焦点を当てた人生を歩みましょう。

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