9/14説教
今朝の教会での説教を要約しました
よかったら読んでみてください
バイブルにはジーザスを慕う弟子を含めた人たちと、
ジーザスに敵対する、権力にあぐらをかく宗教家と彼らに付随する人たち
二組に分かれている
しかし、
バイブルを注意深く読むと、そのどちらでもない人たちもけっこういる。
ジーザスに従うには従うけど、途中、つまずいて、離れてしまう人たち
「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、
もはやイエスとともに歩かなかった。」ヨハネ6:66
また、パウロも同じことを体験した。
「あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、
私を離れて行きました。」 Ⅱテモテ1:15
人間は自分の利害が一致する場合はうまくやっていけるもの
しかし、その人が自分に苦痛をもたらす時、
また、自分の求めるもの以外を差し出される時、
とまどうもの。
宗教にむらがる理由の多くは
ご利益をもたらすかどうか
しかし、ジーザスが求めるものは、いのちの関係
夫婦と同じもの。
妻が夫を信じ、自分をゆだねてついていくように
このお方が真実で、自分のいのちを預けるにふさわしいと
決めた時から、自分の利害ではなく、
深い信頼をおいてともに歩む
だから、ジーザスを信じることはいのちの関係であり、宗教じゃない
ルツというモアブ人の女性が姑ナオミに言った言葉
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。
あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 」
昔、ある人から、このルツの告白の「あなた」という部分に
「イエス様(ジーザス)」と入れて、告白してごらん
心から言えるかい?
どうだろうか?
先週紹介した本で、サリン事件の河野さんの話
河野さんは逮捕はされないものの、世間から犯人扱いされて、
死んだ方が楽だと思える苦しい状況で、何人か、
彼を見捨てずに支えた人物がいるわけ。
その中の一人で河野さんが勤めていた会社の社長がいる。
治療や取り調べで出勤できない河野さんに、
給料もボーナスも振り込み続けたそうだ。
後に、疑惑が晴れた時に、会社の人から社長のことを聞かされた。
会社でも河野さんは犯人と思われていて、
解雇しないと他の社員に悪い影響を与えると社長は忠告された。
しかし、社長は「まだ、犯人と決まったわけじゃない。
はっきりするまでは、河野を支える」
また取引先が「河野を雇い続けるようなら取引中止」と言われても、
首にしなかった。その結果、多くの損害を被った。
それでも信じ続けた。
こんな人なら信頼できるでしょう?
信じるということは信じ続けるということ。
時間の継続の中で、その人と信頼の関係を続けていく。
また、ジーザスは信じるに足りるお方。
人生のなぜ?を今、ゆだねよう
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