厳粛な時

パスター・レイ

2009年10月03日 20:24



うちの信徒の叔父に当たる方が、亡くなって

今回、葬儀の司式を務めることになった。

その方はKさんといって、癌を患って昨日までICUにいた。

祈るために呼ばれて、木曜の夜に病院に出かけて行った。

その時は、モルヒネを打って、意識もかろうじてあるような感じでした。

家族が見守る中、Kさんに語りかけた。

「Kさん、祈りに来ました。

Kさんにはあまり時間がないので、気休めを言うことはボクにはできません。

今、Kさんは死と向き合っていますね。

不安や恐れでいっぱいだと思います。

Kさんの人生の良かったこと、悪かったこと、すべて

キリストにゆだねて、神と和解して、清算しませんか?

そう言うと、腕を組んで祈る姿勢を取った。

そして、キリストを受け入れいれる祈りを声を振り絞って、復唱してくれた。

最後は、声にならなかったが、確かに口は祈りの言葉で動いていた。


『まことに、まことに、あなたがたに告げます。
 わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、
 永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、
 死からいのちに移っているのです。』ヨハネ5:24



Kさんの魂が、死からいのちへと移ったと確信した。

病室が、神の霊に包まれた厳粛な時間であった。




ジーザスと一緒に十字架にかかった強盗の一人は、

ジーザスの高貴な姿に、神の子を見た。それで、

死後に自分を覚えてくれるように一言添えた。

あまりにも悪い人生だったので、天国に連れて行ってとは言えなかったのかもしれない。

しかし、その強盗に「あなたはわたしとともに、今日、パラダイスに入る」

と言われた。なんと気前のよい話だろうか。

しかし、これは真理なのだ。

ジーザスを呼ぶ者は、すみやかに救われる。


そんな、すばらしい救いの時に立ち会えることができて、嬉しかったです。



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