ベッテルハイム

パスター・レイ

2009年03月06日 22:16

混沌とした日本の中でも、まったく勢いのない、

キリスト教界という、マイノリティの集団の中では、今年は

ちょっとした行事で盛り上がっているようだ。

なぜなら、今年はプロテスタント150周年らしい。

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明治の初期、開国した日本に多くの西洋人宣教師が横浜などに到着した。

その中には、フルベッキやヘボンがいた。

ヘボンはあのローマ字を考案した人ですよ。

ヘボンはオードリー・ヘップバーンと同じ名前です。ヘボン=ヘッブバーン


しかし、このプロテスタント日本宣教150周年には大きな誤りがある。

なぜなら、1859年よりも、さらに6年前に、この沖縄で、すでに、

プロテスタント宣教がなされていたのだ。

その名は『ベッテルハイム』

波の上に、今でも記念碑がある。

彼は、イギリスから来たユダヤ系で、聖公会のれっきとしたプロテスタント宣教師。

医者としても、西洋の最新医療を、地元の医師・仲地紀仁らに技術指導をして、

沖縄の医療にもたいへん貢献したと言われる。



彼はまた、語学の天才でもあった。

県立博物館に彼の訳した『琉球語新約聖書』がある。




彼は波の上付近を、沖縄では見たことのない、西洋犬とめずらしいメガネをかけて

散歩したので、当時の人の目には、彼は奇異に映ったようだ。

「西武門節」という歌の「ガンチョ~フルガンチョ~」と歌う節は、

ベッテルハイムだと解説する人もいる。


役人からの度重なる迫害にも耐えて、沖縄にずっととどまっていたが、

ペリーの艦隊に、強制的に乗せられ、8年の沖縄滞在を終え、アメリカに渡った。

再度、沖縄に戻ることを夢見たが、病気になり、

志半ばの59歳で天に召される。

こんな沖縄のために、犠牲を払ったすばらしい宣教師が

156年前に、来ているのである。



だから、日本プロテスタント宣教を祝う人たちに、

ベッテルハイムを忘れなさんなと言いたい。





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