ベッテルハイム
混沌とした日本の中でも、まったく勢いのない、
キリスト教界という、マイノリティの集団の中では、今年は
ちょっとした行事で盛り上がっているようだ。
なぜなら、今年はプロテスタント150周年らしい。
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明治の初期、開国した日本に多くの西洋人宣教師が横浜などに到着した。
その中には、フルベッキやヘボンがいた。
ヘボンはあのローマ字を考案した人ですよ。
ヘボンはオードリー・ヘップバーンと同じ名前です。ヘボン=ヘッブバーン
しかし、このプロテスタント日本宣教150周年には大きな誤りがある。
なぜなら、1859年よりも、さらに6年前に、この沖縄で、すでに、
プロテスタント宣教がなされていたのだ。
その名は『ベッテルハイム』
波の上に、今でも記念碑がある。
彼は、イギリスから来たユダヤ系で、聖公会のれっきとしたプロテスタント宣教師。
医者としても、西洋の最新医療を、地元の医師・仲地紀仁らに技術指導をして、
沖縄の医療にもたいへん貢献したと言われる。
彼はまた、語学の天才でもあった。
県立博物館に彼の訳した『琉球語新約聖書』がある。
彼は波の上付近を、沖縄では見たことのない、西洋犬とめずらしいメガネをかけて
散歩したので、当時の人の目には、彼は奇異に映ったようだ。
「西武門節」という歌の「ガンチョ~フルガンチョ~」と歌う節は、
ベッテルハイムだと解説する人もいる。
役人からの度重なる迫害にも耐えて、沖縄にずっととどまっていたが、
ペリーの艦隊に、強制的に乗せられ、8年の沖縄滞在を終え、アメリカに渡った。
再度、沖縄に戻ることを夢見たが、病気になり、
志半ばの59歳で天に召される。
こんな沖縄のために、犠牲を払ったすばらしい宣教師が
156年前に、来ているのである。
だから、日本プロテスタント宣教を祝う人たちに、
ベッテルハイムを忘れなさんなと言いたい。
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